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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

古事記に触れてわかったこと【その2】

 あったかいですね。いや、非常にあったかい。松江は4月中旬並みの気温、20℃まで上がったそうです。テンションも上がります。すんごい晴れてるんだもの。気温変化で体調は崩しましたけども。そういえばいろいろあってもやもやしてたりもしてたけども。ま、いっかと思える天気はありがたいですね。山陰には珍しい、のかな。
 そう、神話の国、島根県は晴れが少ないのです。須賀の地はスサノオが来て「ここはすがすがしいところだ」と言ったから須賀という名になったと言います。その気持ちもわからなくはない。だけど雨が多いのも事実です。最近のように、こんなにスッキリ晴れが続くことはそうそうありません。たぶん。きっと。だから貴重な快晴はすんごい気持ちよさになるのかもしれませんな。

 さて、古事記のその2です。肩の力を抜いて書いていきます。


●◯。。。... オオクニヌシは女性に助けられる

 オオクニヌシってのはスサノオの子孫で出雲に豊かな国をつくった神です。出雲大社に祭られています。この神は相当女性に恵まれています。実際、数多くの女性と関係を持ったと言われているようです。とにかく女性運が強いというか、女性に助けられるし、その辺ルーズだったりもする。
 八十神という兄弟の神々からいじめられて、何度か死に、そのたびに母親に助けられます。オオクニヌシを助けるために高天原(天上界みたいなとこ)から遣わされる神も女性です。黄泉の国でスサノオにいじめられるときに助けてくれるのはスサノオの娘です。なんだか力強いというよりか、運がいい感じですね。この辺はスサノオのイメージと対称的でもあります。
 黄泉の国から戻って八十神を討ち滅ぼしたのは、オオクニヌシというよりスサノオからもらったやたら強い武器でしょう。自分から闘うタイプではなくて、心優しいタイプ。国を大きくするときにはスクナビコナの手腕が光るので、なんというか、オオクニヌシ自身はそれほど活躍するわけでもないのです。助けられ、運が良くて、支えられて国をつくっていく感じ。そう考えると、独走しない理想的なリーダーなのかもしれません。その分、人を惹きつける徳とか魅力を持っていたのでしょう。
 にしても、男性にいじめられまくって、女性に助けられまくるってのは、なかなかおもしろい構図です。神話の時代にも、そんなリーダーがいたのですなぁ。


●◯。。。... アマテラス「その国、わたしのだから」

 オオクニヌシが統治する地上が栄えてくると、ふと思い出したように高天原にいるアマテラスがいちゃもんをつけてきます。荒れてるだとか、騒々しいだとか言って、とにかく自分の子どもが統治するべきだと言い出す。そして地上に使者を2回送るけども、そのどちらもが地上の生活に染まってしまって帰ってこない。遂に3回目のタケミカヅチになってやっとアマテラスの伝言がオオクニヌシに伝えられます。
 そこで抵抗するかと思いきや、オオクニヌシはわりとあっさり国を譲る(息子のタケミナカタは抵抗するけど)。うまいのは、国を譲るけどその代わりに大きな御殿を建ててわたしを祭ってね、と交換条件を潜り込ませるところです。要領よくやって、今、出雲大社に祭られているわけですな。このさらっと身を引く謙虚さは見習いたいところです。

 この国譲りと呼ばれる局面。おもしろいのはアマテラスオオミカミがいきなり「地上はわたしの息子のものよ!」と出てくるところです。スサノオは地上に追放したくせに、いざ地上が栄えてくると何か口出ししたくなる。淋しくなったのか、妬みなのか、羨ましかったのか、本当に地上が荒れていると思ったのかはわかりません。でも、外から見ると、ケチをつけて出しゃばってきたという印象も持ってしまいます。
 隣の芝生は青い、というか。やっぱり他人が上手くいくとなんだかんだと言いたくなってしまうものなのかもしれません。神様がそんな感情の揺れ動きを持ってるのだから、人間もそうなんでしょう。特にアマテラスの場合は、下の人間がうまくやったからというヤキモキ感もあったかも。こういうのって、避けられない感情でもあるのでしょう。
 なんにせよ、上に逆らわず、流れをうまく利用して、ひょいっと避けたオオクニヌシの立ち回りが素晴らしいです。なるほど、こう避けるのがいいのかと思えますね。


●◯。。。... ニニギが認知しない。

 国譲りのあとは天孫降臨です。天の孫、つまりアマテラスの孫にあたるニニギ(本当はすんごい長い名前)が高天原から降りてきます。日向の高千穂が降りてきたところらしいです。降りてきてコノハナサクヤヒメを見て、「お、きれいだな」とか思って嫁にもらってしまいます。このときコノハナサクヤヒメのお父さんが姉のイワナガヒメも一緒にニニギに嫁がせようとしますが、ニニギはイワナガヒメは醜いからといってこれを拒否。なんとまぁ、正直というか、さすが天上人というかの対応です。
 で、そんなことをした結果、イワナガヒメは「岩」、つまり永遠のものになるようにという意味があったので、ニニギはそれを拒んだことになりました。天皇の寿命にも限りがあるとなったのはここからだそうです。
 このエピソードだけでもニニギの性格に疑問をもってしまいます。でも、さらにすごいことに、コノハナサクヤヒメが身ごもったのを知ると、「その子どもはわたしとの間の子どもではなかろう」と言ってしまう。期間が短すぎたとかもあったかもしれません。でもね、さすがにそりゃあないだろうと感じてしまいます。コノハナサクヤヒメはもちろんニニギの疑いを否定します。身の潔白を示すために、産屋に火をつけて、その炎の中で出産するという荒業をやってのけました。無事出産できたみたいだからよかったものの、なんだか凄まじいお話です。

 古事記というのは天皇家の正統性を示すために書かれたものだとばかり思っていました。しかし、こういう記述も出てくるとなると、どうも両手をあげて天皇家を賛美するものでもないような気もしてきます。現代の価値観から見ているからなのでしょうけどね。


●◯。。。...

 子ども向けの本では、天孫降臨ぐらいまでの記述で終わっています。このあと、どんな展開になっているのかまで書かれたのを一冊借りてきましたけども、人名などなどが多過ぎて読む気になりませんでした。(;・∀・)

 日本の成り立ちって、おもしろいですね。荒唐無稽な神話の中にも、感情があったり、リーダー像があったり、人間関係があったりする。これらがわたしたち日本人の奥底に潜んでいるのかな、などと考えるとなかなか示唆に富んでいます。なんとなく拝んでいた神様も身近に感じられるというものです。
 子ども向けの、簡単な古事記を読んでみるのはオススメです。ええ〜、そうだったのかよっ!と驚く展開が待っているかもしれません。だいたいの驚きポイントはここに書いちゃったかもですが。



m(_ _)m

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