meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

ファシリテーションってなんだっけ?

 最近、Facebook『コミュニティで広がる新しい刺激と成長の機会』っていう記事を見つけまして。読んでみたらなんだかすんごいことが書いてあったので、だいぶとたじたじしてしまいました。リクルートホールディングスって書いてあるので、多分、その系統の方が書いたのだと思います。リクルートって言っても色んな方がいるので、なんとも言えないのですけども、ちょっと苦笑いしてしまう内容ではありました。
 リクルートのような大きな企業がファシリテーションについて語っているのがすごいなぁ、ってのが半分。そんでもって、このままの方向性だと危ういなぁ、ってのが半分です。改めて、ファシリテーションって何なのかを考えるきっかけになりました。いろんな考え方があっていいものなので、反論するわけではありませんが、じゃあ僕はどう考えているのだろうってのをまとめてみようと思います。
 改めまして、ファシリテーションってなんだっけ?


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 最初に断っておきます。僕はファシリテーションについての専門家ではありません。誰かについて学んだこともありません。さらに言えばファシリテーションについての本を読んだこともないかもしれません。講座に出たことぐらいなら少しある。そんなぐらいの人間です。お前のなんかファシリテーションじゃないやーい、と言われたこともあったような気がします。あしからずご了承願います。m(_ _)m

 ですが。振り返ってみるに、どうもこの学び方自体がファシリテーション的であるとも言えます。知らず知らずのうちに寄っていき、いつの間にやら身に染み付いているような感じです。「ファシリテーションはこうだよ」と教えられたことはなく、しかし、その方向性はわかっている。そんな感覚です。僕の受け継いできたものは、そういう類のものでした。
 と。そんなことを言われてもわかりませんよね。ちょっと大枠から整理してみましょう。ファシリテーションには大きく分けて2つの系統があると考えています。ひとつはビジネス系。もうひとつはまちづくり系です(「まちづくり系」というネーミングには違和感がありますが、ここはわかりやすさを優先させています)。

 ビジネス系のファシリテーションには学生時代に出会っていた気がします。会議をうまく進めるための方法として捉えられていて、意見の引き出しをしつつも整理や結論が重視されていました。場合によっては、速く、適切な結論に持っていく方法がファシリテーションだと言われてもいました。会議の進行を握るファシリテーターは結論のあたりをつけながら、みんなが納得するように誘導するようなこともします。座礁しないでゴールすることが大切。そんな世界でした。
 自然、ファシリテーターを担えるのは熟達者のみとなります。結論にたどり着けそうもない人が前に立つと、途端にみんなが不安になるのです。リアルタイムで議論の設計と行く先が描ける人でないとファシリテーションはできない。リーダーのような役割なのだなぁ、などと感じていました。


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 そんなファシリテーションに浸かり、ホワイトボードを使って自分のしたいように議論を操作しているのだろう、と言われるぐらいにはなった僕がいつの間にやら紛れ込んだのがNPOです。「あいまいなものを、あいまいなまま処理する」という言葉が当時の僕には衝撃的でした。なんじゃそりゃ、おもろい、です。
 まちづくり系のファシリテーションにはそういう空気感があります。ふわっとはじまり、ふんわり終わって、妙な満足感とモヤモヤを残して終わります。スッキリハッキリとした結論はありません。ときには発言を促しさえしません。沈黙は金なり。黙っていてもいいよと言うこともあります。それぞれの人に、何かが起こっていればいいなぁ、というぐらいの気持ちです。(確実に何かは起こってます)
 議論を活性化というより「その場にいていいんだよ」を伝えることに重きがあるのかもしれません。すっとんきょうな意見が出たら、なるべくそれが出た意味を考えます。結論への道筋はできるだけ持たないようにして、その場を楽しむ。即興的で、脱構築的。ほとんどノーガードだったりもしました。自分を強く見せてもうまくいかないもんだな、ということを知りました。弱い方が隙ができてよかったりもします。
 一方で、まちづくり系のファシリテーターは「神」のようだなぁ、とも思っています。リーダーよりも絶対的な存在ですね。その場の神様です。イメージ的には漫画『封神演義』の妲己なのですけども、、、うん、わかる人はいないかな。世界と融合している空気のような存在。単なる媒体です。その空気感の中にいるから、促進や増幅が起きるような、そんなイメージです。相手に任せながらも場はホールドしておくというのがこのタイプのファシリテーションだと思います。そして、神の力を自覚なしに使うと大変なことになります。(;・∀・)


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 というわけで、大きく性格が異なる2つのタイプがファシリテーションというひとつの言葉にまとまっているようなのでして、さらにいえばもっと多様なあり方がごっちゃになっている状態でもあります。で、僕の立ち位置はなぜかまちづくり系の方に偏ってしまっていて、この辺のいつの間にか感というか、転換の滑らかさというか、無意識な変化というか、スローなコミュニケーションで入ってきた巧妙さは流石としか言いようがありません。そんな環境に僕はいたのでした。
 だから、個人的にはバースデーパーティを盛り上げるファシリテーションがあってもいいけど、できれば盛り上がってるパーティの端っこにいる子に目を向けて欲しいなぁとか思います。居づらさがあるのだったら、盛り上げないファシリテーションってのもいいんじゃないの?とさえ考えます。(僕は場を盛り上げることもできないし、盛り上がった場では端っこで静かにしたいタイプです)

 なんにせよ、場を促進するのがファシリテーション。次の一手へと進ませる促進もあれば、この場所でノビノビしていいんだと思わせる促進もあるということでしょう。そんでもって、まちづくり系に偏っている以上、わたしのファシリテーション観は再度脱構築していかなければならないのだよなぁ、などとも思うのでした。世は無常なり。道は続くのです。



m(_ _)m

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