meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

やり切ったなぁ、ってのはあるけど、じゃあどこが成長したかなんてわかったもんじゃない。

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 講座を受講する。ワークショップに参加する。学校に行く。小さいころなら身体の成長もあって、自身の「伸び」も感じることができました。が、大人になるとそうもいきません。勉強したのに、うーん、どこか変わったかなぁ、とか、前進っちゅうよりむしろ後退しちゃったんじゃないかぁー、とか感じることも少なくないかと思います。

 オトナ的「成長」って、ちょっとムズカシいのです。でもって、逆に言えば、カンタンお手軽に成長を感じるようなシロモノは、あんまり大人びてないのかもしれません。どこが成長したかなんてわかったもんじゃねぇ、ぐらいの方がオトナ的学びってやつだなと、そんなふうに思います。

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 本をあければ知識があって、知識の先には未知が広がってる。1を知れば10ぐらいはわからなくなる。だいたいがそんなもんでしょう。複雜に複雑化した現代において、わかり切った!と言えるようなことなんてそうそうありません。宇宙のこと、細菌のこと、心理のこと、経済のこと、組織のこと、社会のこと。1+1の答えにさえ疑いがかかるのであれば、「正解」ほどの幻もない。知れば知るほどフワフワ状態です。もう落ち着きがなくって仕方がありません。
 このフワフワ状態に耐えることこそがオトナ的知性です。素早く正解にたどり着くことも大事ですが、それはそろそろコンピューターにやってもらえばいい。人間はさまざまな可能性の海の中で、あれやこれやを視野に入れながら漂っていいんだと思います。ときには間違いも愛嬌です。
 と、考えると、オトナ的な学びにおいては「いかにオチをつけないか」が大切になってきます。言い換えれば、いかに意味に助けを求めないか。オチなし、意味なし、でも実は無駄なしが理想かもしれません。オチをつけちゃうとそこで終わっちゃいます。フワフワしなきゃ、フワフワ耐性はつきません。

●◯。。。...

 よくわかるものよりも何だかよくわからないものを。スッキリよりもモヤモヤする方を。カンタンよりはムズカシさを。解決よりは課題を。そうやって沼地にどっぷりハマっていけばいくほど、成長は見えにくく、じんわりと根本から効いてきます。どこにどんなスキルが付け加わった!なんて言えなくなります。たぶん、それでいいんです。
 開き直ったり、割りきったりもせずに、「どこが成長したのだろう?」という問いを頭の隅に置いておきましょう。追い求める姿勢があれば、もしやどこかでカチリと噛み合うかもしれません。きっとその先にも、未知が待ち受けています。

 

m(_ _)m

 

 

学び続ける力 (講談社現代新書)

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