meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『ベイジン』福島以後に読む「中国で原発をつくるとこうなる」

 

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 読もう読もうと思って積ん読だった長編小説の2つ目を読み終えた。真山仁の『ベイジン』である。企業小説とか、ビジネス小説ってジャンルになるのかな。わりと男の闘い、って感じのする小説だった。
 ひと言でいってしまえば「中国で原発つくるとこうなる」ってことだと思う。これは中国から批判されないのかな、ってぐらいに政治的な腐敗と、手抜きと、手抜きに溢れた中国観だった。まぁ、だいたい、若い人が思う以上に、ケタ外れに、社会なんてものはテキトウでオオヨソにできているものである。こういう手抜きや大雑把は大なり小なりどこの国にだって当てはまるのだろう。
 さて、では、それが原発に適用されるとどうなるのか。だ。

●◯。。。...

 日本人技術者が中国の原発建設に技術顧問として関わり、奮闘する。そんな物語であり、結末はまずまず予想通りとなる。なんせ、テレビが爆発しただとか、最近ではマラソン大会かなんかで食べ物と間違って石鹸配って、2万人のレース参加者の6割が倒れたんだっけ?そんな報道がされるような国である。パワフルではあるが、最新鋭の繊細さには向かないのだ。
 物語はあくまでフィクションだから、ほんとに書いてあるようなことが行われているかどうかはわからない。あんまり信じ込むと中国に失礼なような気もする。ただ、文化は違えど技術は世界共通にあるもので、技術に伴う危険性も同じくなのだということはわかった。なんてったって、原発なのだ。福島原発の事故の後に読んだのだ。事故前に読んでいたなら、こんな臨場感はなかっただろう。

●◯。。。...

 中国の人名や地名には慣れなかったが、「建屋」という言葉は平気で読むことができた。物語の結末、その終わり方の意味を、わたしたちはよくわかってしまう。『ベイジン』は2010年に刊行された。現在から振り返ってみると、皮肉なことに、事故は日本で起こってしまったのである。
 あっちとこっちがよくつながってしまう世界では、必ず連鎖が起こる。じゃあ、様々な出来事の余波を受けるわたしたちは、どういう姿勢をとればいいのだろうか。でもって、技術者が追い求めた希望は、今、どこに向かっているのだろうか。

 

m(_ _)m

 

 

ベイジン〈上〉 (幻冬舎文庫)

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