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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

人の攻撃性を引き出す「弱さ」ってのもあると思っている。

考えてること 教育 NPO

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 天気のいい休日の朝。いつものようにラジオを聞いていたら、こんな話題が聞こえてきた。「いじめは、いじめる側が絶対に悪いんです」。言い切っている。なかなかスッパリとした態度だなぁ、と思った。
 聞いていたのはFMであり、休日なのに朝は早めであって、知っている人ならよくわかる、某宗教団体の番組だったということは書いておくべきだろう。まぁ、なんというか、博愛主義というか、そういう系統の愛に溢れた番組なので、なんとなく話半分に聞いていた感じである。少しだけ「いじめる側が絶対に悪い」と言い切る論理展開に興味をそそられた。

●◯。。。...

 どうやら番組のゲストはいじめ防止授業を行っている方らしい。授業の終わりにはみんなが「いじめる側が悪い」という結論に至るようにするとかなんとか。ぼくみたいな天邪鬼には到底辿り着けない境地にいるのだと思う。
 だが、どうもラジオでは肝の部分ははぐらかされた。そんな真剣に聞いてなかったから、聞き逃したのかもしれないが、ともかくも、なぜ「いじめる側が悪い」なのかはわからなかった。いつの間にか「いじめ(という行為)が悪い」という話になっていた。社会に出たら、その行為は犯罪だというのである。もっともなことである。
 だが、それだけの理由で「いじめる側が悪い」もしくは「いじめる側のみが悪い」とは断言できないだろうなぁ、と考えていた。結果的に、そういう結論でいじめが減るのならばそれでいいのだけども、なんか腑に落ちなかったのだ。(話半分に聞き流していて、こんなこと書くのもナンだけど)

●◯。。。...

 おそらく、推測するに、その方はいじめという行為を「悪い」と定義して、その行為を行っている側、つまりいじめっ子が悪いと言っているのだろう。宗教的な背景からしても、罪を憎んで人を憎まず、のはずだ。行為が悪い。だから、行為を行っている主体に責任がある。
 それはそれで筋が通っている。おっけーだと思う。
 ただ、個人的にはそういった行為を引き出す脆弱性というのがあると思っている。攻撃性を誘い出してしまう性質である。カラカラに枯れた落葉を見ると手でくしゃくしゃっとしてバラバラにしてしまいたくなるようなものが人間には宿っている。これがなんだかとっても切ないのだ。攻撃されたくないのに、攻撃性を引き出してしまう。ついつい攻撃されてしまう。弱さ、脆さである。
 ぼく自身にもそんな弱さが宿っていると思っていて、ゆえに、いじめられっ子側の人間なのだ。必要以上に相手を怒らせちゃったんだろうなぁ、なんて思うことが今でもたまにある。そのたびに、心の中で少しだけごめんなさいと謝る。どうにも生きにくい性質を持ったもんなのだ。

●◯。。。...

 人にはそういう弱さがあるんだろう。だからといって「いじめられる側が悪い」とは思わないし、「いじめがあるのは仕方がない」とも思わなくて、そんでもって、妙なことだけども、そういう弱さを大切に持っていて欲しいなぁ、と思うのだ。鎧や武器で武装するように、安易に自分の脆弱性を覆ったり克服しないで欲しいなぁ、と思う。なんとも勝手な話だ。
 ぼくは弱さが好きなのである。弱ければ、風に吹かれて揺られ飛んでいき、経験はとても豊かになる。見えなかった微弱を感じることができる。敏感肌の方が情報は多い。強い肌には味わえない世界がそこにある。だから、大切に扱ってあげて欲しいなと、そう思う。

 大切に持っていたからって、現在進行形のいじめに対しては何の解決にもならないんだけどね。

 

m(_ _)m

 

 

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