meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

きっと僕は、同じことを書いていく

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 過去の記事を移したこともあって、昔書いたブログを読むことが多くなった。古いのは2010年になる。5年前ぐらいかな。だいぶと時間が経ったもんだ。頻度の変化はあれ、なんだかんだでちょっとずつ続いている。継続は力なり。うーん、力はついただろうか。

●◯。。。...

 そのときどきの感情、事情、状況があるから、イイコトを巧く書いているときもあるし、イマイチなことをつまらなく書いていることもある。けども、だいたいにおいて、書いていることは一緒である。主張は変わっていない。表現したいことはわりと同じのようで、なんとまぁ、単調なブログになっているもんだと、自分自身のことながら思う。考え方も、思想も、着想も、切り口も、何も変わっていない。停滞であり、立ち止まりであり、ぐるぐるだ。まだそんなところにいるのかい、と言われてしまう。

 

 馬鹿みたいな話だけど、馬鹿だから仕方がない、というか。ある種の壁があって、そこから前に進みたいという意志はある。あるのだけども、そこを突破する勢いがない感じかもしれない。本当ならハシゴをかけて、ひとつひとつ段を登っていくべきなのだろうけども、どうもそんな気になれずに過ごしている。ハシゴがない、方法がわからない、とは言ってはいるが、それは言い訳に過ぎないのだろう。
 もっと体系的に、もっと分析的に、ひとつひとつを着実に。言うは易し、行うは難し、だ。

●◯。。。...

 「勉強」とか「学習」というと、どうしても高校時代までの勉強をイメージしてしまう。いわゆる積み上げ式であって、経験値らしきものがあるし、ある程度は努力と成績との間に正の相関関係が見出だせる。問題を解けば、それだけ点数を稼げるようになっていく。わかりやすい構図である。
 一方で、今、向かっているような気がするモノに対しては、その方法は馴染まない。本を読み、文を書き、写真を撮って、いろんな場所に行き、食べる。これらは自分の中に溜まっていくもののように思える。そして、思えるだけだ。進んでいる、できるようになる、点数が上がるなんてことはない。
 「そりゃあ、KPIを設定して、PDCAをまわさなきゃダメだよ」なんて言わないで欲しい。その考え方さえも、わたしが対抗していかなければならぬと勝手に思い込んでいるモノのひとつだ。こうして、やっぱり僕のぐるぐるは続き、同じことは繰り返し書かれていく。

 日常のあれやこれやに取り紛れながら、徐々に深まっていく確信のようなものだろうか。ぐるぐるを是としながらも、無意味さへの疲れ、前進しないことへの不安が、何となく身に忍び込んできているようでもある。
 何かおもしろいことをしてみよう。

 

m(_ _)m

 

 

魂の文章術―書くことから始めよう

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