いろいろとしっかりちゃんとしていかなければならない時代の大学だけど、廃れてほしくない文化はあるなと思った。もぐりである。本当なら出られない講義に、なぜか出席しているというのがもぐりである。もちろん単位は出ない。
先生の許可がある場合、ない場合、どちらもあって、どちらでもいい。とにもかくにも、その人は単位なんか関係なく、こっそりと、あるいは堂々と講義やゼミに参加する。それを許容する文化があるのが、大学のいいところだと思う。いい意味で鷹揚なのだ。
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大学の経営となるとイイコトとは思えないのがもぐりの悲しいところである。学費を払わずに講義に出てしまうから、厳密に言わなくてもタダ食いみたいなものだし、もしかしたら犯罪なのかもしれない。(学則とかにそういう規定が入ってるのかしら?)それでも、一定数のもぐりはいて欲しい。
僕も、たまには講義にもぐりこんだ。先生の口利きで、他大学の集中講義に出たこともある。単位は関係がなかった。独りで突入するように混ざりこんだから孤軍奮闘だったけど、結果的には得難い経験になり、その後の縁はつながった。ほんと、よくやったもんだった。
この講義はおもしろいから、と友達に言われて大講義室にスッと入り込んだこともある。やっぱりおもしろかった。そのときの僕にとってはもの凄い参考になる、刺激的な内容だった。こんな講義もあったのか、と思わされた。こういう経験も大学ならではだろう。
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いろいろあるのが大学である。制度がゆるく設定されているのは、カオスを認めるためかもしれんな、とさえ思えてしまう。あっちこっちと飛び回る人がいて、知というのは深まっていくのだろう。
それに、もぐりは経済的な呪縛から逃れている。逃れているから、一方的に恩を受ける存在になる。贈られたものは返さざるを得ないのが人間というもので、やっぱりそれはまわりまわって返ってくるものなのだろう。サービスの売り手、買い手という構図から外れているから、縁はそこで途切れなかったりするということだ。ある意味で、最も人が育ってしまうのが、もぐりという文化なのかもしれない。
いや、だからって、みんながもぐっていいわけでもないし、もぐりを推奨するわけでもなくて。ただ、こういった文化が片隅にでもいいから残っていって欲しいなと思うばかりなのだ。探求する者に、その行為に、寛容があり、自由さがある。それが大学らしいということなのだと思う。
m(_ _)m
- 作者: 内田 樹
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