学び方ってのにもいろいろあるなと思いまして。ふと、積み上げ式の勉強が身の周りから消えているなぁ、などと感じたのでした。なんのことはない。体系的な勉強の機会ってのは少ないもんで、特に、大人になると体系的にまとまっていること自体が少ないのです。
イチからせっせと積み上げさせてくれることってのは贅沢なんですな。(なんか最近、林修先生がそんなこと言ってたんだっけ?)
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この歳になると、多くのことが「ひも解き」型になってくるのかもなと、思っています。もともとの学びってそういうもんなのかもしれません。現象がまずあって、そこから逆算していくように、何が起こっているのかを調べていく。知っていく。ひも解きというか、ナゾ解きかも。
この商品を売らなきゃならない、ってなったとき。じゃあ、この商品ってのはどういう特性があって、どんな制度で売っていて、どこにニーズがありそうで、と調べていく。他にも、過疎地域で人口を確保しなきゃならなくなったときとか。なぜ人口が減っていて、この地域はどんな性格の地域で、他の地域では何をしていて。
後手後手の対応といえば、そうなのだけど、世の中予想がつくことの方がよっぽど少くて。だから、いつも起こったことに対応する。起こったことから、ひも解きがはじまって、学んでいく。そんなのが多いような気がしています。
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だから、ってわけなのかどうかもわかりませんが、最近ではプロジェクトベースドラーニングなんて言葉も流行って来てるみたいです。プロブレムペースドラーニング、なんて言ってるところもありますが、要は同じで、学ぶことが最初にあるのじゃなくて、ミッションとか課題が最初にある、ってことだと認識してます。違ったらごめんなさい。
社会に出てからの「積み上げ」はなかなかないし、出る前から「ひも解き」に慣れておこうよ、みたいなことだと思っていて、それはそれでよいことなのかもしれません。ただ、この「ひも解き」を導ける人ってのは、まだ少ないのでしょう。だって、「ひも解き」だから、ひもを解いたときには何かが待っているはずで、それを用意しておかなきゃならない。けども、そのゴールが見えていては「ひも解き」にならないわけで、その按配が難しいんじゃないかな、などと考えたりするわけです。
ひも解きは、ひも解きだから、何かがあると想定して開けるんです。荒野に新しく一軒家を建てるわけじゃないくて、差し出されたプレゼントをワクドキしながら開けるような行為なんです。そんなのを演出できる人って、なかなかいないのかもしれません。
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でも、個人的には「ひも解き」のワクドキ感は格別だと思ってまして。その楽しさがわかってくると、あらゆるところにプレゼントが置かれているようなことになるんじゃないかと、そんな期待もしています。
積み上げられない時代だから、こういうやり方の重要性も増しているのかもしれません。
m(_ _)m