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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

マニュアルとか手順書とかに載せられない「やり方」を見落とさないこと

スタイル 考えてること 働く

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 最近、ぼーっと考えていることと言えば、スタイルのことである。スタイルというと、ライフスタイルとか、スタイルがいいとか、ワークスタイルとか、そういうもので、姿勢でもあるし、なんというか形はあるけどもふわっとしていてうまく掴めそうで掴めない、そういう系統のものだ。そこには文体とかもモチのロンで含まれていて、そんなことをあれやこれやと扱うにはどしたらいいだろうとむにゃむにゃ考えている。
 一体、この思考はどこに行くんだろう。

●◯。。。...

 世の中にはマニュアルとか手順書とか、そういうものがある。あれをやって、こうやって、次はこれをする、などとつらつらと書かれているもので、まぁ、あまり楽しい書類ではないが、意外と頼りになるニクい奴でもある。たまに見返してみると、かゆいところに手が届くことが書かれてたりして、侮れない。
 だけども、いくら手順を守ってもうまくいかないことがあって、実はそっちの方が大切なのではないかとも感じているのである。そっちって、どっちかというと、どうやってその手順を実行するのか、ということである。どうやって、というのは、どういう雰囲気で、どんな顔で、感情で、様子で実行するのかということである。世の中のシステムは、だいたい全部が人間でできているので、やり方は必然的に内実と形式を伴う。完全な機能を求められることは、たぶん、あんまりない。実際、機能ならばロボットに任せればよいとなる。
 てなわけで、本当ならば「せかせかとやる」のか、「のんびりとやる」のか、はたまた「気前よくやる」とか「不機嫌にやる」で、結果は変わってくる。手順ばかりではないってことなのだ。

●◯。。。...

 考えてみれば当たり前のことであって、プレゼントを渡すときにだってラッピングをするかどうかでは受け取る方の感情は変わる。どっちもクッキーを渡しているってだけなのに、形式が違うだけで変わるのだ。
 なんだか合理化合理化なんてことが言われているけども、形式や肩書きや年齢や性別や、そういったもんは意外と大切なのであって、軽視すべきものではない。機能が果たせているからそれでいいでしょ!なんて言っていると、いつの間にか機能を包むオブラートをバリバリに引き裂いてしまう。引き裂くようなスタイルを続けていると周囲にどういう影響を及ぼすか。それは想像にお任せするが、まぁ、あまりいいものではないだろう。

●◯。。。...

 つまりは、人は見た目が9割だということを意識しておくべきだと思うのである。見た目って、イケメンであるべきとかそういうことではなくて、スタイルをきちんと見ておきなさいということだ。自分に合ったスタイルとか、周囲に合ったスタイルとか、そういうもんを何かうまく調整できる力をもって、おそらく社会人力とかコミュニケーション力とかいうのだろう。
 こんなものは、なかなかマニュアルに載せられるものではない。手順書に書いたからといって、実行できるもんでもない。ある程度の素養と鍛錬があって、初めてなせることである。この、素養と鍛錬を見逃さないことも、またひとつの重要事項なのだと思う(そんでもって、これらの鍛錬は芸術分野のなんやかんやが担うんだとおもっていたりする)。

 うきうき、どんどん、どよどよ、でろーん。こういうオブラートをもっと使ってみてもいいんじゃないだろうか。

 

m(_ _)m

 

 

 

文体練習

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