meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

特になんでもない朝に、考えたことをだらだらと。

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 朝、起きる。ご飯を食べて、少しだけ身支度をする。今日は遅番だから、1時間ほど出勤時間が遅い。外はいい天気で、窓から入ってくる光が白くて気持ちがいい。玄関には日曜日に買った新しい靴がある。買ったのにまだ履けていなくて、だから、早く履いてみたいなぁなんて考えてる。平日はさすがに革靴で行かなきゃならない。そこが哀しくもある。
 長い髪の毛が気になる。3月後半に切ったところなのに、いつの間にかもさもさになってしまった。もっと短くしてもらったらよかった、とか言いつつ、たぶんおんなじようになってたんだと思う。あの美容師さんはこだわりが強くて困る。松江に来てから何件もまわって、やっと「ここならいいか」という美容室に行き着いたんだけど、やっぱり難点は残った。こっちの思い通りにはしてくれない。思い通りにしてもらうには、こちらの努力が必要になる。そんなところだから、しょうがないっちゃしょうがない。もう少し我慢するかな。

●◯。。。...

 もっとラフに生きていきたいと思う。晴れた日には休んで外を歩き、雨の日には籠もって文章を書く、なんて生活が理想的ではある。その法則に従えば、つまりは、今日は休日ということになるわけだが、ま、そうはいっても、制限がなさ過ぎると生活がぐちゃぐちゃになっちゃうことも知っている。それだけ歳をとったってことかもしれない。歳をとる前に気づけよ、って話かもしれない。
 気がつけば「懐かしい場所」も増えていた。「過ぎ去った人」も増えた。ゴールデンウィークに名古屋に戻ったものの、あんまり動きまくるということでもなかった。懐かしさに浸ると共に、既に過ぎてしまったのだなぁ、という人や場所も際立って見えてしまった。通過した、というだけで、また出会ったり、戻ってきたりはあるんだろうけども、ひとまず過ぎたことだけが心に残った。渦中にある人たちに対するへんな申し訳なさと、渦中にはいないという淋しさも伴っていた。

●◯。。。...

 流れるように流れて、行き着いたのであればそこが自分に適したところなのかもしれない。そんなことを「きむたく」に棲みついたときに書いていたようである。可能性は狭まっていくし、できることは減っていく。残っているものが、自分の立ち位置なんだろう、とかとか。

 

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 まぁ、そういうことなのだろう。そうやって、固まっていくようで、実は変化していく。環境に合わせたり、気分に合わせて、わたしはサラリーマンにもなるし、文章書きにもなるし、開拓者にもなれば、守護神にもなる。可能性は狭まっているくせに、経験が溜まった分だけ守備範囲も広い。妙な倒錯だと思う。単なる言葉遊びのようでもあって、そうではないことも知っている。

 さて、そろそろ準備をして行かねばならない。書くことと撮ることは、なんかずっと続けていくんだろう。

 

m(_ _)m

 

 

 

アフォーダンス入門――知性はどこに生まれるか (講談社学術文庫 1863)

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