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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

京大出身者の学歴コンプレックス的な何か。

大学

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 じとっとした空気が流れ込んできているようで、どうやら今晩からは雨が降るようだ。ここ数日、本当に暑かった。この暑さと雨の湿っけがあわさって、そのうち梅雨がくるのだと思う。ぬわっとした季節である。
 さて、そんな日の朝に、京大出身の人のブログをついつい読んでしまった。はてなでトップに出ているとかなんとかで、炎上しているとかなんとかで、まぁ、話題になっていたのだ。曰く、京大出身でスグに専業主婦になって何が悪いのだ的な、なんやかんや。ああ、なるほどなぁ。気持ちはそれなりにわかるなと感じてしまう。
 国内で考えれば、最高学府の一翼を担う。でも、そこを出たところで何があるわけでもない。一周まわったコンプレックスというか、フクザツな感情が生まれてしまうのも仕方がないのかもなと、思う。

●◯。。。...

 京都大学を出た人間が、まず出会うのは「京大出身者」というレッテルであり、壁である。何かをやるたびに、お前は京大だからな、と言われ、失敗ならばそこに「くせに」がつく。順当な就職をして、大企業に行った友達でさえこういうことを言われたとか聞いたので、まぁ、逃れられない宿命みたいなもんなのだろう。
 最初はそういう周囲に辟易する。そのうち慣れてきて「えへへ」と笑う余裕ができてくれば御の字。下手をして、学歴に押しつぶされて泣いたりした人もいるんじゃないだろうか。
 至極真っ当、当然のことだけれど、京大を出たからといって何か特殊なことができるわけではない。賢い、とか言われるけど、本当に賢いかどうかなんてわかったもんじゃない。仕事が人並みに以上にできるわけはなく、要は普通の人である。聖域で培養された変人たちは、聖域から出たらたじたじするより他はない。一部の不遜な奴らが、どやーっとのさばっているかもしれないけれど、多くは善良なる一市民に姿を変える。時間が経てば、それぐらいの器用さは生まれてくる。至って普通の人なのだ。

●◯。。。...

 このことを周りも自分自身もある程度飲み込んでおかないといけないのだろうなと、今回は思った。わたしにも自尊心はあるし、心の何処かでえっへんと威張りたい気持ちもあるのだろう。一方で、そんなに能力があるかと言われれば、ノーだし、特段仕事がデキる系ではない。未だに長期間の安定軌道に乗れず、のらりくらりと生きている。この程度である。
 この「この程度」を、自分なりに飲み込んでおくことができると、よくわからない嫉妬とかジェラシーとかにぶつからなくて済むのかなと、そんな気がするのだ。えばってることも含めて、まぁ、こんなもんです、と差し出しておくと、周りもそんなもんかと見るようになる。気がする。
 いや、わたしが呑気だったり、周りの人がいい人だったから、こういうことが言えるのかもしれないけれど。

●◯。。。...

 昔、失明した人が言ってたことを思い出した。この障害を腫れぼったいものとして、距離を置いたりとか、丁重に扱ったりとかするといけない、ってなことだった。京大出身っていうのも、いわばそういうものなのかもしれない。
 障害みたいなもんならば、それもひっくるめて受け入れて、自然に暮らしていけばいい。そういうものなのだと思うには、少し時間がかかるかもしれないが。

 

m(_ _)m

 

 

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