meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『第2図書係補佐』妙に読みたくてうずうずする本。

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 関西弁が好きだ。関西のノリが肌に合っている。というか、好きなのだと思う。
 ぼくが大阪に通っていたのは浪人時代のことで、関西弁はその頃、予備校の友達に叩き込まれた。「できない」のことを「できやん」と言ってたら、「できへん」もしくは「できひん」と言いなさい、という理不尽な指導が返ってくる。「混んでるなぁ」を「つんでるなぁ」と言ってたら、はぁ?なんそれ?、と睨まれる。浪人時代はだいたいそんな感じで、結構はちゃめちゃだったのかもしれない。さすが本場、大阪はすげぇなぁ、なんて思ったものだった。
 例えば、オレンジのピン球を先っちょにつけた指し棒を使う先生がいたとする。すると、みかんに割り箸をぶっさしたものがいつの間にか用意されている。授業中、先生がホワイトボードに向かっているときにだけスッと掲げる。掲げてる奴はやたらに誇らしげである。どやーっと、みんなに見せている。浪人生がそれをやる意味はまったくわからない。どう考えても幼稚。だけども、掲げるタイミングは絶妙だった。先生に見せてはならない。気付かれてはならない。なぜか教室全体がその使命を引き受ける。視線が離れた。今だ。あ、こっち見るぞ。隠せ。見つかるな。もう、授業どころではなかったが、それが結構たのしかった。
 まぁ、いったい何をやっていたのやらって話ではある。何から何までそんな調子だったかというと、そうでもないけど、だいたい似たようなノリだった。おもろいことをみんなが求めていた。
 ぼくはその年に初めてビールを飲んで、気持ち悪すぎて病院に行き、怒られた。病院までの道すがら、「俺、頑張れ。俺、死ぬな」と言ってたらしい。馬鹿である。ていうか、もっと頑張れよ。いろいろと。

●◯。。。...

 ゆえに、ぼくはぼくなりに、関西に染まることになった(この場合、染まった、というと生粋の関西人に怒られる。ぼく自身がおもろいわけではないから「ぼくなりに」は必ずつけなければならない。それがネイティブでないものの礼儀なのだ)。
 そのノリは大学時代に熟成されて、名古屋に行っても居座り続けた。名古屋から伊賀に通ったときには、やっぱりスッとする気持ちがあった。言葉は荒いくせに、温かくて気持ちがよかった。そのとき会っていた人たちが優しかったからかもしれない。リズムやテンポや間が、しっくりくるのだった。

 

 『第2図書係補佐』をすすめられた。バスの中で読むのには丁度いい、と言って手渡された。いろんなオススメ本が紹介されている。なるほど、今のぼくに丁度よかった。これほど「読みたくなる本」って、そうそうない。全然本の紹介になってないやんけ!とツッコミながら読むと、きっと楽しいと思う。

 

m(_ _)m

 

 

 

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)