小学校の頃から、学校の宿題はリアルで、テイルズ・オブ・ファンタジアの謎解きはヴァーチャルだった。それが当たり前のことだと思っていたし、ゲームは現実逃避の手段に過ぎないという捉え方を、自分自身も信じていたと思う。今だって、現実の世界はリアルで「真」だとされて、ゲームだったり、インターネットだったりはヴァーチャルで「偽」と見なされている。それは仕方のないことなのだろう。でも、モヤモヤとした想いは残る。
●◯。。。...
「ポケモンのほうがリアルだ」という言葉を見て、あ、やられたな、と思った。記事の内容とは主旨が違うけど、おんなじようなことを考えていた。ぼくにとっては、ヴァーチャルの方がリアルだったのかもしれないと、そのとき気付いたのだった。
リアル、ってどういうことなのだろう。物質があったり、身体があったり、日常だったり、社会だったりがリアルなのだろうか。例えば、友達とカフェに行く。話の途中でスマホを取り出して、ゲームの世界を楽しみはじめる。そうすると、友達が怒ってしまうかもしれない。こういうときに、友達といるカフェがリアルで、スマホの中がヴァーチャルで、だからリアルの世界を軽視するのはよくないのだと、そんな風に言う人がいるのだろう。
確かに、お行儀はよくない。ぼくもちょくちょくスマホを覗いちゃうので、我ながらマナーが悪いんだろうと思う。思うけども、やっぱりカフェが真で、スマホが偽だと言われると、それはどうなのかという気もしてしまうのだ。もともと、すんごいゲームが好きだった人間からすれば、ゲームの方も大切な「真」になることがある、ってこともよくわかるのだ。
こうやって、ゲームも「真」になることを、人は現実逃避とか、廃人と呼ぶのだろう。でも、その「真」に見せかけた「偽」の世界を信じて、可能性を追求してきた人たちが、ポケモンGOをつくったのだと思う。
世界は1つではなく、真実も1つではない。とするなら、向かい合う相手のリアルにも、ちょいと気を使ってもいいんじゃないか。そんな風にも思えてきた。
●◯。。。...
しかし、それにしても。こういう時代だからか、世界をすり合わせるのは難しい。こちらの世界とあちらの世界が違うのだから、共存するためには自分の中に多様な世界を持ち込まなくてはならない。そこまで抱え込むのは、たぶん、無理があることだ。
相変わらず、バランスとか、やわらかさとか、そんなところに行き着いてしまう。そんなのは、既によくわかっていることだ。見つけにいかなければならないのは、「どうやって」バランスややわらかさや多様にたどり着くかということなのに。
m(_ _)m
つながりの作法―同じでもなく 違うでもなく (生活人新書 335)
- 作者: 綾屋紗月,熊谷晋一郎
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2010/12/08
- メディア: 新書
- 購入: 9人 クリック: 165回
- この商品を含むブログ (28件) を見る