meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

「そういうこと」という語り口。

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 たまに、「そういうこと」という語り口に出くわす。何かを伝えるときに、ダイレクトには言葉に置き換えずに、何らかの具体例を話す。そして、最後に「そういうことや」と付け加える。「俺はな、朝はやくから出てきてトイレ掃除するねん。そういうことやで」と、どこかの社長が言うとすると、それだけでなんだか高尚な教訓みたいになってしまう。卑怯だなぁ、と思う。と、同時に、うまい手だなぁ、とも思う。
 ソウイウコト話法を目の前にすると、タジタジしてしまう。あっちへ出ても不正解、こっちへ攻めても不正解。そんな状況に追い込まれる。「なるほど、代表が率先して汚い仕事をすれば、人がついてくるってことですね」なんて返しをしたなら、致命傷になりかねない。それ見たことかと、ワカッテヘンナ―的空気感アタックをくらう。かといって、何も返さないわけにもいかなかったりして、うーん、と悩んだ挙句「そういうことですかー」と相づちを打ってみる。すると、やっぱりワカッテヘンナ―で返される。

●◯。。。...

 結局のところ、ソウイウコト話法では正解が示されていないし、後出しジャンケンでどうにでも「伝えようとしたこと」を動かせてしまうので、常に聞き手が追いかける側に固定されてしまうのだ。伝えたい事は何だったのか、そのオチが曖昧模糊としていて落ち着かない。落ち着かないから、頭をまわすしかない。何が「そういうこと」なのか。答えは霧の中、雲の中である。
 だから考えるわけだが、そこからは考える気力や体力があるかないかの問題になってくる。ここでも聞き手の好奇心やら思考力が試されることになってきて、まぁ、正直なところしんどくなる。最終的には、まぁまぁ、そういうことなんだろうな、ぐらいの理解で適当に留めておく場合が多い。そして、そんな態度が相手に伝わると、フン、オヌシハソノテイドカ的視線にぶつかったりもすることがあって、そのときは面倒な相手だなと思うことにしている。付き合いきれんことだってあるのだ。

●◯。。。...

 ただ、こういう語り口に出くわす度に、やはり言葉では表せない何かがあるのだろうと思わされる。誰もが誰も、自分を上位に立たせたいがためにソウイウコト話法を使うわけじゃないだろう。本当に伝えたい事があるのだけれども、適当な言葉が見つからない、うまくフィットする表現がどこにもない、となることはある。それは話者の表現力や語彙力の問題でもあるが、それを超えた言語の限界とでも呼ぶべきものがあるのだと思う。言葉は世界を覆い尽くしてはいない。網目でしかなくて、穴は多く、往々にしてそういう穴に世の中の大切なことがハマり込んでいるのだろうなぁ、とか思ってみると、あながちソウイウコト話法も悪くないような気がしてくる。
 ちなみに、詩とか文学作品とかはだいたいソウイウコト話法を含んでいる。

衣更て 見たが家から 出て見たが
夏目漱石

 そういうことである。

 

m(_ _)m

 

 

 

草枕 (1950年) (新潮文庫)

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