meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『ハーメルンの死の舞踏』お金が巡り、ねずみがはびこる。

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 晴れた休日で、時間があるならば、カフェに行きたくなる。特に冬は日照時間が短いから、日差しはとても貴重なのだ。家でぐっと休みたいなという気分でも、家でえいやっと作業を仕上げたい日でも、ちょいと外に出よう、ちょいとカフェにでも立ち寄って、ゆったりしてみよう、とか考え出してしまう。

 そして、どうせ行くならばいいカフェに行きたくなるのが自然の摂理というものなのだ。宍道湖があって、珈琲館はそのほとりにある。休日は人気過ぎて入れないようなこの店も、たまにくる平日休みならば悠々と座ることができる。何か、本を持っていこう。そうだ、2ヶ月も前に買っていたのに、まだ読んでいなかったエンデの戯曲を持っていこう。

●◯。。。...

 ミヒャエル・エンデといえば『モモ』や『果てしない物語』のことを思い出す。『果てしない物語』の方は、ネバーエンディング・ストーリーという映画にもなった。ドイツの作家で、ファンタジーや児童文学といったジャンルで活躍した人だ。でもって、『モモ』は東海地方にあるNPOバンク、コミュニティ・ユース・バンクmomoの団体名の由来である。2009年頃、お金のことについて疑問がたくさん浮かんだぼくが、ボランティアをしていた団体だったりもして、エンデにはそこで出会った。
 エンデはファンタジーでお金なのだ。世の中を流れるお金について、素直に、シンプルに、良心を持って、深く考えた人なのだ。「エンデの遺言」と検索すると、今でも出てくるyoutubeの動画があるから、気になる人は見てみるといいと思う。地域通貨が流行るきっかけをつくった番組だが、それを抜きにしても、金融に対する素朴な指摘にドキッとすることもあるだろう。

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 お金の全てが醜いわけでもないし、富を否定してばかりでは世の中ままならない。それでもやはり、醜い側面はあるのだろうし、距離を置かなければ欲に飲み込まれてしまうような、そんな気配を漂わせている。ハーメルンの笛吹き男を下敷きに、ここまで書くかというぐらいの、醜さ、汚さ、おぞましさ。お金に対する激しい描写が、いっそ快かった。マザー2をやったことがある人なら、きっと、マニマニの悪魔を思い出すだろう。
 なんかゲトゲトしてる黄金色の偶像から、生み出されていく金貨たち。そんなお金のイメージは、たしかにぼくが子供の頃に持っていたもので、今もかすかにまとわりついている。それは、もしかしたら、お金が根本的に持っている性質なのかもしれない。
 それを知りつつ、黒い影を感じ取っていながら、それでももう、まわし続けるしかないのだという、大人の言葉が哀しかった。これは警鐘なのだ。穏やかな午後のカフェにも、お金は流れている。

 

m(_ _)m

 

 

ハーメルンの死の舞踏

ハーメルンの死の舞踏