meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『希望の国のエクソダス』村上龍の先見性と、問題提起。

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 再読である。といっても、前に読んだのはたしか2009年ぐらいのことで、そう考えるとおよそ8年ぶりぐらいに読んだことになる。内容はすっかり忘れていた。
 でも、なぜか出会いは覚えている。当時、経済ってものが信じられなくなったぼくは、なんだかどうにも掴みどころない社会の中でもがいていた。向こう見ずに会社を辞めて、無職になり、柄にもなくボランティアなどに参加しはじめて、今あるものではない何かを探し求めて、さまよっていた。そんなときにのぐそんという優秀な医学生が、kimuraさん、これを読むべきですよ、と紹介してくれたのが『希望の国エクソダス』だったのだ。彼はその後、産婦人科医になったとか、どこかで聞いた。

●◯。。。...

 1998年から2000年にかけて連載されていた小説なのだけれど、内容は古くないと思う。経済の問題についても、教育の問題についても、今、2017年にもやっぱり同じような問題に世の中は直面している気がする。小説の中で反乱を起こしていく中学生は明らかに社会起業家たちを思い起こさせるし、日本経済の衰退、失業率や経済格差についても、見事に村上龍氏の予想が当たっている。チームダンスが日本中で流行っていた、なんて描写にはドキッとさせられた。ヨサコイのことだと思った。
 幸いだったのは、円の信用がそれほど落ちなかったことだろう。未だに「比較的安定しているとされる」という枕詞がついているのは、幸運だと思う。まだ、日本は見放されてはいない。かといって、この下り坂が変わるわけではない。

 若干、当時のネット社会に対する過剰な期待感は感じられた。インターネットの世界がとっても未知で、可能性に溢れていて、とても素朴な善に向かっていく空気感が、ぼくには懐かしくて、切なかったりもした。そうだった、そうだった、あのときのインターネットは万能で、今ほど現実世界してなかった。
 その世界が、いつの間にか、リアルに回収されてしまったのかもしれないし、それは今のぼくが感じる錯覚かもしれない。そんな気分にもなった。インターネット的だったあのときの感覚は、忘れたくはない。けども、どうにもそんな状況ではなくなってきているのも、また、事実なのだ。できることならば、もっと、やわらかくあり続けたいと、思う。

●◯。。。...

 この国には希望だけがない。不登校を続ける中学生の代表、ポンちゃんはそう言い切った。「希望」ということの意味を、きちんと考えなくてはならないのだろう。あんまり安っぽい物語に、自分を売っちゃいたくはないから。

 

m(_ _)m

 

 

希望の国のエクソダス (文春文庫)

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