meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

われら、後始末世代。

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 あけましておめでとうございます。2017年が閉じて、2018年が開きました。実家に寄生、いや、帰省中の身にて、絶賛寝正月のゴロゴロまっただ中にいます。様式が定まっているような、いないような、曖昧な儀式的いつものことをやり過ごして、毎度毎度の新年がはじまります。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

 はてさて。
 新年の初っ端に何を書こうかと悩みながら散歩に出て、年末は非営利組織のマネジメントが問題になってたなぁ、などと頭が巡り、巡り巡って、そういえば「後始末世代宣言」はしてなかったというところに行き着きました。これ、後始末だよなぁ、ってことにもう少し自覚的になってもいいのではないかとか、考えていたのです。

●◯。。。...

 われらは後始末世代なのです。まぁ、バブル以降は大概が後始末なんだと思ったりもするんですが、ジャパン・アズ・ナンバーワンの幻影がその後も少し残っていたと考えると、氷河期世代でいよいよダメ感が顕になって、ゆとり世代が社会に出てきたぐらいのタイミングでいよいよ人口減少社会に突入となります。
 ちなみに推計では、2017年の日本の人口自然減数は40万3000人というニュースが流れていました。長野市宮崎市の人口と同じぐらいらしいってことですが、島根で言うと松江市出雲市がまるっと消えた感じになります。一番人口が少ない鳥取県が56万人ぐらいなので、県規模で見てもかなり消滅感がありますね。もともとの県の人口が少な過ぎるって話は、もちろんありますが。
 年末には、NHKラジオからしきりにプライマリーバランスであるとか、国の予算に占める借金の割合、なんて言葉が聞こえてきてました。1000兆円を超える借金があるやらないやら、それは大丈夫なことなのか、そうでないのか、やんややんや。あまりに危機感を煽ると、それはそれで一気に雪崩がおきちゃいそうで、聞いてる側としてはなんか無駄にハラハラしちゃったりもしていました。
 成長を前提とすることはできず、人口は減り、打ち出の小槌は使えない。高齢化社会に対応するための予算は膨らまざるを得ないような気もするし、耕作放棄地も、空き家も、管理ができない山や土地やがガシガシ出てきます。近い将来には現代版の山賊が出てきてもおかしくねーなー、と思ってます。これら種々諸々をどうすっぺか、ってのが後始末世代の課題です。
 何も詳細がない持論・暴論ですが、まぁ、そんな風に考えてます。われらが後始末せんと、次の世代が育たんとです。

●◯。。。...

 人口減少問題は、人口構成問題です。人口ピラミッドが逆三角形に、頭でっかちになっていることが危険なわけです。多数の高齢者を、少数の若者で支えなきゃならぬ、という状況に社会システムが対応していないってとこが、しんどいのです。支えなきゃならぬの若者は子供を育てにくいわけで、そうなると逆三角形は面積を縮小しながら続いていくという結論になります。団地でも、会社組織でも、同じです。同世代の人員を一気にどかんとぶち込むといずれ同種の問題が発生します。正直、なんでこーなったねん、という気がしないでもないですが、こーなってるものはしょーがないです。
 今のうちに、気合を入れて、決断をして、できるだけの掃除と整頓をしておきたいという気持ちにもなります。ひとまずは逆三角形のシステムとスタイルをつくっていく必要があるのだろうと、そんなことを思ってます。

 

 

 

m(_ _)m

 

 

 

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