meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

死ぬまで働く世代。

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 温泉に入ってぼーっとしていたら、旅行者らしき爺さんが2人はいってきた。話題は旅の話である。どうやら、爺さんAは京都が嫌いらしい。話しかけても人がろくに返答せん、とのこと。見知らぬ人と話すのが旅の楽しみなのだろう。爺さんBもそれに同意する。旅はこれぐらいの田舎がいい、というようなことを話していた。確かに、岐阜の山に少し入ったこの温泉は、田舎である。観光商売としてはそこまで繁盛していないかもしれないし、サービスも洗練されたものとは言い難いかもしれないけれど、その分、余裕を持った、素朴なおばちゃん、おっちゃんたちが店を切り盛りしていた。
 穏やかな秋の日差しが露天風呂に降り注ぐ。気分も開放的になっているのだろう。爺さん2人が上機嫌で話す。そして、話の流れから近くのおっちゃんに声をかけた。「なぁ、あんたも定年したら旅した方がええで」。声をかけられたのは30代後半から40代といったところのおっちゃんであった。人が良さそうで、ちょっと地元の人っぽい浅黒さがあった。言ってしまえば、普通のおっちゃんである。
 「いやぁ、もう僕らは死ぬまで働くんですわ。年金なんてないやろし、定年もないんです」。おっちゃんの的確な答えに、思わず笑ってしまった。まさかそんな返しが出るとは思っていなかった。明るく、冗談のようでいて、本当にそうなると思っている、明快な声だった。
 爺さんAは「それは官僚が全部ふところに入れとるのが悪いんやで」と言い、爺さんBは「おれは厚生年金基金が底をついて、支給されへんようになるんちゃうかってのだけが不安でなぁ」とかぶせる。ご隠居は呑気で、自由である。「子どもができるときに、えらい考えましたわ。生まれても、働いて働いて、よーけ税金取られて、死ぬまでそれが続く。そんな時代やし、このあともどんどん厳しなると思たら、子どもつくってええんかな、って」。おっちゃんの声はあくまで前向きである。覚悟ができているのだろう。爺さんAの官僚悪い説が燃え上がり、言葉が荒くなってきたので、僕はコソッとその場を離れた。

●◯。。。...

 言い方は難しいけれど、普通の人が、どこにでもいるようなおっちゃんが、同じことを同じように考えていたことに、ちょっとした驚きがあった。僕も、年金はもらえないと思っているし、今の子どもはさらに大変な時代を生きるだろう思っている。死ぬまで働くんだろうなーと何となくその運命を受け入れていて、税金をよーけ取られるとは思ってないが、よーけ取られるの感覚はよくわかる(どの程度が「よーけ」なのかが僕にはわからないと言った方が正しいかもしれない)。
 普通の人が、普通に、当然に考えれば、この結論に行き着く。それをみんなが気づいている。そんな世の中になりつつあるということなんだろうなぁ、と思った。そんな状況なのに怒った奴らが革命を起こさない、ってのも、なんだか今の日本人らしい。それはそれでいいんじゃないかと思う。思うけれども、ちと権力だけは手放して欲しいもんだとも考えてみる。秋の日差しは暖かく、温泉は気持ちいい。とても平和である。

●◯。。。...

 働き方は変わる。facebookで50代の方が転職の報告をあげていた。70歳まで働くとなったら、50歳で「あと20年」ある。20年あれば何かできるだろうと考えた、とのことだった。見習うべき姿勢だと思った。
 これが僕たちの頃になれば80歳ラインになったりするかもしれない。50歳で「あと30年」となる。老いぼれているとはいえ30年あれば、更に何らかの工夫ができるだろう。残業禁止だとか、有給取得必須だとか、そういった目の前のことが目立つけども、もっと大きな目線からも働き方は変わっていく。結局老後がないのだとしたら、途中で空白期間を入れることだってそう悪くない判断なのだ。ニートってのはある意味で大変に合理的である。

 できれば、逃げ切った人たちが大きな顔をして、死ぬまで働く人たちを見下すことがないようにして欲しいな、とは思う。この時代を理解してとまでは言わないから、おれらの時代とは違うんだよな、変わったんだよな、とだけ言って、慎ましく隠居してもらえたら、それでいい。

 

m(_ _)m

 

 

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