meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

生き延びられたこと、生き延びること。

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 年末、年の瀬です。年末年始の休みに入っています。昨日は予想以上に積もった雪でそれなりにクオリティの高い雪だるまをつくってしまった後、岐阜まで出て帰省中の友達とランチをして、帰ってからは自分たちの帰省準備。夕方には車で実家に向かう相方を見送りました。ひとりになった夜はゴソゴソとMacBookProのデータバックアップに勤しんで。今朝になってから今年最後の洗濯をしました。何だかいろいろと片付いていきます。
 2018年がおさまっていく。この場合の漢字は「納まる」でしょうか、「収まる」でしょうか。仕事納めは「納」って書くから、たぶん「納まる」が正解かな。白川静の『常用字解』をひいてみると、「もと織物を税として納入することをいう字であろう」とあります。なるほど、納めは課せられたもので、そういう勤めみたいなものなのかもしれません。てことは、全然納まってないわー、ってのは脱税か。

●◯。。。...

 わたしも実は納まってないんですが、まぁ、納まったことにして、ひとまずひと息つきました。振り返ってみるとメチャクチャな一年でした。今年は本当に「よく生き延びたなぁ」という感じです。生き延びられなかったかもしれない。そこを、なんとか滑り込むように生き延びた。けども、危機的状況はずっと続いています。
 ただ、よく考えれば、今までだってそんなもんだったような気もします。もともと安定的な職業に就くことがほとんどなかったから、いつも次の展開をどうするか、を考え続けなければならないような状態でした。ここ2年半程度の安定感の方が不自然だった、と言ってしまうとなんだか惜しい気がしますが、その通りなのかもしれません。
 前職では、今日があって明日があることを信じて疑わない人たちの中にいることができたので。1年の巡りの中で、いつもの季節にいつものことをしていれば、それなりに過ぎていく場所にいたので、未来の不安にせっつかれるような気持ちからは少し距離を置けていました。
 これをやっていれば、ああなって、ああいうふうに、生きていける。それが幻影だったとしても、それを信じて進んでいける状況というのは、実は稀で、とてもありがたいものなのだと思います。戦後の日本がつくり上げたレールのようなものです。それに乗り続けることが危険だとは、今は言いません。わたしの同世代ぐらいまでは、まだ、逃げ切れる。と、思う。子供の世代にどうなっているかは、わかりませんが。

●◯。。。...

 昨日、ランチの帰りに神社に寄りました。賽銭を投げて、手を叩いて、念じる言葉は「今年も無事、過ごすことができました。ありがとうございました」。終身雇用制度もなかった時代、食べるものがあるやなしやの時代が、ほんの70年前には広がっていました。戦後の食糧難、とか、闇市、という言葉は、わたしたちにとっては本の中の言葉です。現代でも、海外には飢餓や紛争があるけども、それらはニュースの言葉でしかなく、実感を持って扱えるものではありません。下を見ればキリがない、ってことですが、今年も生き延びられたこと自体に、妙にほっとしつつ、お祈りをしていました。
 正直に言えば、今、職業的には大海原に取り残されてひとりぼっちの気分です。でも、その気分に支配されて、いるはずの仲間が見えなくなってしまってはもったいないなとも、思えています。生きようとする意志も、昔よりは強くなりました。生き延びるために、自分なりにもがいていくしかありません。生きるって意外にタフですね。

 ってなことを書いていたら、昨日データ整理してたときに見つけた、むっかし聴いてた中二病っぽい曲がこんなこと言い出しました。「つかの間の喜びにぃー、幸せの振りをするぅー。いつか見た憧れと、違うのに重なってぇーえー。歩いていくぅーうぉうおー」。中二病っぽいとか言ってすんません。わたしもまだ中二病なんで許してください。うぉうおー。そして道は続いていくのだ。うぉうおー。

 

m(_ _)m

 

 

常用字解 第二版

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Rainbow juice

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