meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『いつかいた場所』酒井咲帆

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 ちょっと手に入りづらい写真集かもしれない。ぼくは大阪だったかの本屋さんが運営している「雲の生まれるところ」というオンラインストアで買うことができた(ちなみに、これを書いている時点で在庫数は1になっている)。先に言っておくが、名著というわけでもないから、買うなら今だぞ、急げ!ってわけじゃない。ただ、好きな人は好きだと思う。ちらっとした、それほどベージ数が多いわけでもない、アルバムのような、写真集である。

●◯。。。...

 6月に読んでいた『いま、地方で生きるということ』(西村佳哲著)の中で、この写真集が出てきていた。旅先で出会った少年少女のところに、毎年遊びに行って、写真を撮る。小学生だった子どもたちは、そのうちに中学生になって、大人になっていく。その、年に1度だけの関係の積み重ねが、淡々と綴られている。
 『いま、地方で生きるということ』に掲載されていた写真を見て、これは手に入れなければならぬ、と思い込んでしまった。なんというか、たぶん。ぼくにとっての写真的なものはこういう方向に向かっている感覚があって、そいつがピピピッと反応した感じだった。その方向を言葉で書いてしまうならば、哀愁であったり、淋しさであったり、そこに「生きていた」こと、エネルギーの塊があった「跡」。それを切ないような、愛おしいような目線で眺められるようにすること。の、ような。そういう写真がぼくにとっての理想で、この『いつかいた場所』はそれに限りなく近い気がしたのだ。

●◯。。。...

 どうにか見たい、と思って、ほとんど価格も見ずに注文してしまった。「雲の生まれるところ」はとてもいい本屋さんなのだろう。注文確認や発送のメールがあたたかかった。
 以来、何度か見返している。
 写真集の感想なんて、書けるものでも、話せるものでもなくて、ただときたま写真を眺めて、ふーっとひと息吐いて、パタンと閉じている。タイトルのとおり「いつかいた」「場所」で、まだ場所はそこにずっと続いているけれど、今もそこにいるかというと、どうにもそうとは言えないし、考えてみれば場所だってなぜか遠のいていったりもしているのである。それは向井秀徳が「行方知れずのアイツ いつのまにか姿くらまし」と繰り返した「アイツ」みたいなもんで、そこに焼き付いているのに手は届かないという、なんというか、そういうプレイなのだ。まさにOMOIDE IN MY HEAD
 いや、例が悪かったかもしれない。この感覚は、ノスタルジーじゃない。すごく微妙だけれど、美しい思い出があったから抱けるような懐かしさではなくて、ある意味で、その経験がなかったからこそ憧れるような、ファンタジックなものなのかもしれない。

●◯。。。...

 いつか、こういう感覚を扱えるようになりたいなと思う。言葉に出来ないものを表現できるようになりたいと、ずっと、思い続けている。

 

m(_ _)m

 

 

 

いま、地方で生きるということ

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