meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

いかに作品にお客を巻き込むか? 【 あいちトリエンナーレ 】


 そういえば、どっぺいさんにチケットをもらっていたので、
 トリエンナーレを見に行ってきた。



 今日行ったのは、愛知芸術文化センター。他にも色んな場所で展示をやって
 いるらしいが、とりあえずここだけ。それにしても久しぶりの美術館だわ。

 入って驚いたのが、場内にいくつか写真撮影可能の作品があること。全部で
 7箇所ぐらいは撮影ポイントがあったんじゃないかな?日本の美術館で
 カメラをひっさげて歩いたのは初めてだ。

 ほんで、まぁ、見ている人は日本人なのでこうなる(笑)



 写真を撮って、どうするんだろう? と思ってしまうわけだがw
 私と同じような使い方になるんだろうなぁ。


 この他の場面でもちょこちょこと、だいぶと参加系の作品が多いのを
 感じる。自分の影を動かして楽しめるものや、お客が見ている姿が作品
 の1部として捉えられているものもある。あと作品を作るプロセスが
 パフォーマンス的であったりしたものもあるようだ。

 それらも合わせて考えると、この写真撮影というのも作品に参加する
 1つの手段なのだなぁ、と思えてくる。単にブログとかメールの口コミ
 に期待しての演出でもなさそうだ。

 美術作品というと、順路に沿っていろんな絵画が並んでいて、撮影禁止で、
 といったものだと思っていたから、随分とインタラクションになってきた
 のだなぁ、と実感する。


【 この作品も、間を人が通ることで絵になっている、気がする 】

 ある意味、見ているだけでは満足できないお客が増えてきたのかも
 しれない。場所であろうと商品であろうと、いまや全ての生産活動
 に「 いかにお客を巻き込んでいっしょにつくるか 」がポイント
 となっている気がしてならない。

 ( こういう観点を持っていたから、今回特に強く印象に残ったのかも )

 現代美術は解釈が難しくて、「 正直よーわからん 」だが、参加
 することの楽しみは変わらない。この作品をバックに記念写真を1枚
 撮るだけでも、結構楽しいもんなのじゃなかろうか。



 さてさて、「 参加 」以外にも感じたことがあるので、書いておく。
 それは「 老い 」をテーマに描いていそうな作品が、、、多くはないが、
 2つぐらいコーナーを作っていた。 老人の写真、老人ホームの映像。
 と、同時に、若者の血肉沸き踊る系の展示が少なかった気がする。

 女性の曲線美や男性の筋肉なんかは「 美 」として捉えられ、たくさん
 描かれるテーマなのだと思っていたので、正直不思議だった。

 正直、老人の魅力はその経験にあって、見た目にはあんまり。。。な私から
 すると、おどろおどろしいもんに見えてしまった。若干その辺の複雑さ、
 惹きつけるけれど、死が近くて恐ろしいという入り組んだ姿を描いている
 ような気もしたが、真意はいかに?

 なんせ、現代美術ですから。



 ほんとは感じたままに、感じた方がいいんだろうなぁ、と思いつつ、
 なにやら変な解釈ばかりを考えてしまいました。もちろん、くだらない
 妄想や連想もしておりましたがw
 ( 昔、ゴッホだったかスザンヌだったかの絵を見て、「 エヴァの使途に
   似てるねぇ~ 」とか言ったことがありますw 大学生時代に )

 美術の見方はそれぞれ。 ただ、ここまで参加型だと、誰かといっしょに
 行った方が楽しめたなぁ。 もうすぐ閉幕だけど、次に行くときは誰か
 誘ってみよう。