不惑と呼ばれる年齢になった。実感はないけど、どうもそういうことらしい。生まれてから40年というのは、こういう感覚なのかなと、思う。きっと、少し前の世代であればかなり大人びた、中高年というか、おじさんというか、そういう年齢だったのだろう。たぶん母親が40歳のときに、ぼくは小学校高学年とか、中学生とかだったんじゃないだろうか。ふむ、なかなかである。子どもがいないからなのか、そんな感覚からはだいぶと遠い場所にいる。
生まれたときにはバブル経済前夜で、物心ついたかどうかでバブルが膨らみ、それなりに思考できる年頃には弾けていた。高校生になって携帯電話を初めて持った携帯電話は白黒だった。パソコンも、インターネットも、家にない。振り返ってみると、今では考えられないような時代だったのかもと思えてくる。地続きなのに、遠い世界である。40年という時間感覚はこんな感じなのかな、と思う。
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どこかで書いたかもしれないけど、40年、この時間を縦に並べて10個つなければ400年になる。400年前は1624年で、まだ江戸幕府ができたばかりの頃で、由井正雪も乱を起こしていない。ものすんごい昔々のお話に飛んでいくのに、ぼくが10人並べば済んでしまう。こう考えると、江戸時代も結構近いもんだなぁ、なんて思えてきてしまう。
ちなみにわたしが5人で200年前。1824年はペリー来航前である。3人で日露戦争。2人で太平洋戦争末期だ。この40年間という長さを繰り返して遡ると、そんな感じになる。たった2人で高度経済成長期をさらっと飛び越えてしまう。世界、というか、世界観の変遷の速さも感じるし、時代の近さも感じる。人間の歴史は、思っている以上に濃密なのかもしれない。その割には、生きてきたこの40年の変化なんて、実際には、そんなに感じていない気もしたりする。あれ、物心ついたときの世界観から、そんなに大きく変わっただろうか。なんて、さっき書いてたことの真逆を言ってみたい気にもなる。妙にふわふわした感覚にとらわれる。
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この年齢になると、人の死が身近になってきたりもする。祖父母はいい年齢もいい年齢だし、上の世代の、お世話になっていた人だったり、あの有名人が亡くなったり。人が生きていると死んでいるのでは、なんか違いが大きいなと感じることもあって、できれば生きているうちに会いたいもんだと考えるようになった。6月、ひっさしぶりに東京方面に行けたときには、大学時代の友達に声をかけてみた。何か話したいことがあるわけではない。まぁ、ただ顔が見たいだけな感じで、向こうもそんなテンションだったのだろうと思う。
改札前にふらっと現れた友達は、テンションが高いわけでもなく、ひさしぶりー、とか言うわけでもなく、おぅ、と手を挙げて迎えてくれた。遅れてきたもうひとりの友達も、いつも通りのひょっこり加減で合流し、いやーひさしぶりやな、ぐらいの挨拶だけで、とりあえず落ち着く店を探すことになった。なんだかんだ歩いた挙げ句で、行った先はサイゼリヤである。昼間っからサイゼリヤのワインを飲みまくった友達は、顔を赤らめながらくだを巻いている。大学時代に学生寮の食堂で見た光景とほぼ同じだったことに、解散してから気がついた。
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「三十にして立つ、四十にして惑わず」らしいぞ。いやぁ、「三十にして立つ、四十にして座る」やな。将来に惑う大学時代、そんなやり取りがあったことを思い出す。そんなら俺は「四十にして寝る」やわ。ええな、そういうんでええわ。
立ってもいないくせに、ほんの少しは落ち着いて、座るぐらいにはなったかもしれないなと感じる。残念ながら、寝られるほどの余裕はない。もう少しこの石の上に座り続けることになるらしい。
m(_ _)m