多様化の時代に、2つの統合的動きが出てきている気がしている。個人的には「 原理的統合 」と「 集合知的統合 」と名付けてみた。「 この2つがあるから何だ! 」ということもないんだけど、ちょっと整理してみる。
えっと、図のとおりなんだけどw
多様が進むと、その反動で、統合したくもなってくるんだろうか。バラバラになって、なんか淋しいから寄り集まろう的な何かである。
原理的統合は「 いろんな人がいるけど、人間の原理的にこれは共通するんじゃないの? 」っていう考え方。具体的には自然を感じるとか、体を動かすと気持ちいいとか、ナチュラルだったり、有機だったり、ヨガ的だったりする。「 みんな同じ人間 」「 立ってる基盤は一緒でしょ 」って雰囲気を感じてしまう。環境活動も、そういう面があるかな。
対して、集合知的統合は、「 いろんな人がわさわさ集まれば、おもしろい何かがつくれるんじゃないの? 」っていう考え方。Wikipediaが代表的。あと、最近知った荒川智則なんかもそうかな。実はtwitterにも集合知的統合的な面があるんじゃないか、とか思う。シェアもそうかも。「 みんなで1つの何かを創る 」って感じで、わざわざ「 集合知 」って名付けたのは、前提として「 多様な人が関わらなければおもしろくない 」って信念を感じるから。
どっちがいい悪いって話ではない。
ただ、この2つの方法は「 みんないっしょ 」と「 みんな違う 」の全く正反対の思想の上に成り立っている。そして、原理的統合は原理であるが故に固い。例えば「 自然は人間にとって大切 」と言われれば、反論の余地がない。他方、集合知的統合は、新しく誰かが加わると動く。定義や意味は、人が加わることによって変わっていく
この2つの統合を見ると、多様化の時代にマッチしているのは集合知的統合だろう。多様であることを許してくれて、むしろ、多様さを利用しているからだ。だからといって、原理的統合も軽視できない。多様化してきたからこそ、人としての本質は何かを深く見つめられるようになったのではないかと思うからだ。
原理的統合と集合知的統合。この好対照な2つは、対照的であることも含めて、どこか重要なのではないか、、、とか考えてみたわけだ。まぁ、最初に言ったように、「 だから何だ! 」ってことでもないw
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