meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

荒野の果てに続くもの。

 木曜日。出勤しなくなって、4日目の朝を迎えております。もともと水曜日は休みだったので、今週3日目の休み、なのかな。ともかくも、ひまひまニート生活が4日目ということです。毎日ぐったりねばねばごろんごろん、してしまわないために予定入れて持ちこたえている感じです。
 自由気ままというのは非常にありがたい境地なれど、自由気ままにも「やり方」がある。ここを間違うと体力減退、精神摩耗、思考停止にコミュニケーション障害と、あんまりろくなことがありません。日々、やることをつくって、活動をする。柄にもないこと言ってますが、ニーチェだって「身体のない思想なんてダメだ!」って言ってます。そんなに若くもないんだし、ある程度は頭や身体を動かしてないとね。

 あと、わたしがこうなった経緯をなんだかちょこちょこ聞かれているような気がしますけども、大変恐縮ながら、そんな詳しい話をネットに乗っける気はございません。要はわたしが自分の状況を見誤って、うつ症状が「ふりだしに戻る」状態になってしまった、ということです。うつになったよ〜、って話は以前の記事にまとめてありますので、そちらをご参照ください。m(_ _)m
 実際には自分で判断できたので、2月末時点よりはいい状態です。回復もはやいので、その点はご心配には及びません。わりとのびのびしております。


◎。。。...

 さてさて。振り返ってみても、なかなかに人生がワインディングロードしてきたなぁ、と感じております。どうにもおもしろいもんですね。こんなことが起きるのか!こーなってしまうのかぁ、うーむ、そうきたか。そういうのの連続です。もうちょっと落ち着けないのかよ、と自分で自分に言いたくなります。
 ただ、開き直った目線から見れば、人生なんてそもそもそーゆーものなのだし、むしろ、自分の予測不可能領域、理解不可能領域があるからおもろいのではなかったのか、と思えます。何でも自分の思い通りに行くはずもなく、ゆえにコトが起こる。それをいなしたり、流したり、ぶつけたりする。いくらかは自分で対応し、いくらかは天に身を任せるしかない。そーゆー仕組みでできているとするならば、ベストエフォートでいいじゃないか、ってね。それなりにやることをやっていればいいし、そこさえ諦めなければ道は勝手に続いていくんだろう、と、そんな心持ちです。

 そして、それはそんなに間違ってない。
 これはわたしに生まれてきた「裏付けのない信念」なのかもしれません。

 以前、わたしがニート時代に考えていたことは「生きているだけで価値があるのだとしたら、生きているだけで必ずそこには価値が生まれて、生き筋が出てくるハズだ」というものでした。徹底的な自分の無価値性に向かい合いながら、それでもどうにか生きていくためにすがりついた論理です。荒唐無稽、とはいえ、いい発想してるなぁと思います。
 年月が経ち、まったりと経験を積んでしまったこともあって、さすがに「生きているだけ」っちゅーわけにもいかんだろうとは感じています。もう一度、自分の資源をもって誰かに与えていくことをしていく。有り体に言えばボランティア。そういうことからはじめていくんでしょう。


◎。。。...

 周りにいる方々には申し訳ありませんが、どうにもわたしは「稼ぐ」のが苦手で仕方がないみたいです。なんとなーくの感覚では、おそらく、わたしは稼ごうとすると稼げない(笑)。しかも、たぶん行き詰まる気がします。そっちじゃない。
 それよりも、受け取ったものをちゃんと渡していくこと。もっと言えば、わたしが受け取ったと勘違いしているものを環境に還元していくこと。そっちの方を今は意識していこうかなと思っています。

 まだまだどうなるかはわかりません。
 ただ、最後に下手なことを言ってしまうのであれば、

 「この流され感の方がわたしっぽい」。




m(_ _)m