meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

【本】駆け出しマネジャーの成長論


【 『駆け出しマネジャーの成長論』7つの挑戦課題を科学する 中原淳 】

 マネジメントってのは何やろね?という話をしたのは去年の秋頃のこと。京都で久しぶりに会った後輩とその不思議さについて少し語り合った。「いやぁ、世の中のマネジャーって人たちがどこでああいう能力を身につけたのか、まったくわからないっすよ」。まったく同感である。何を、どうしたら、マネジメントに辿り着くのか、そのときのわたしにはどうにも想像がつかなかった。
 その後輩も、わたしも若くして3社を渡り歩いてきたカワリモノ(?)なので、いわゆる大企業、体制がしっかりした組織に所属した経験はうすい。というか、あんまりない。おそらく、どちらも「誰かがマネジャーになっていく姿」を見たことがないのだろう。2人して、不思議だよなぁ〜と首を傾げるばかりだった。

◎。。。...

 このことはたぶん、不思議だよなぁ〜と悠長に構えていられない問題になってくる。マネジメントは活動の中核を担う役割なのだが、「どうやったらマネジメントができるようになるか」を示してくれる人はあまりいない。少なくとも、わたしはそういう人には出会ってこなかった。プレイヤーとしてどうあるべきは教えられ、自分でも真似てきたところがあるが、マネジャーの方法論は入っていない。もちろん、過去の上司のやり方を思い浮かべて試行錯誤することもあったけれども、これはどうにもうまくいかない。当たり前である。大前提が理解されていないのだ。マネジャーは何する人ぞ?が見えていないままで、小手先ばかりを弄しても空を切るだけである。そして、みなさまご経験のとおり、上司の空回りほど迷惑なことはない。
 本来ならば、前提を理解し、過去の上司のスタイルをさっぴいて知恵を抜き出し、自分のスタイルや組織の文化に馴染ませることで、経験というのは活きてくるものである。そっくり真似てうまくいくものではなかろう。

 まずは「マネジャーは何をする人なのか?」「どうやってマネジャーになるのか?」この2つの問いについて考えなければならなかったのだ。想像して欲しいのは理想の上司像ではなくて、上司の役割である。明確な答えが出てくる人はどれぐらいいるのだろう?僕は『駆け出しマネジャーの成長論』を読むまで、なんとなく成果を管理したり、配置を動かしたり、責任をもって決定する人程度の認識しかなかった。甚だ浅学、恥ずかしい限りである。(;´Д`)

◎。。。...

 本書は駆け出しマネジャーから一歩抜けだしたかな、という位置まできた中原淳さんが、これからマネジャーになる/マネジャーになった人に向けて書いたエールのような本だと思う。先輩から後輩へ、「おい、こういうことになるから気をつけておけよ!」「みんな失敗したり、つまずくんだからそんなに凹むなよ!」という励ましの本である。企業の人材育成について研究し、自身も大学内でマネジャー的立場になった中原さんの「これを伝えておかなくては!」という想いが強く感じられる。
 平易に書かれた文章、太字、傍線、図表などの端々から、わかりやすくエッセンスが伝わることに振り切った様子がうかがえる。とにかく簡単に、現在マネジャーがおかれている現状とこれからくる課題、そして乗り越え方のヒントが盛り込まれている。後輩たるわたしたちならば、読んでおいて損はないだろうし、いやいやどっこい、読んでおいた方が絶対いいと感じるぐらいの内容である。

 さて、先ほど触れた「マネジャーとは何する人ぞ?」という問いについては、本書の中で、このように説明がなされている。

 マネジャーとはひと言で言ってしまえば、図表1に見るように「Getting things done through others」です。「Getting things done」とは日本語にすれば、「物事を成し遂げた状態にすること」です。そして「through others」とは「他者を通じて」実現することを言います。ということは、「Getting things done through others」つまり「他者を通じて物事を成し遂げること」がマネジャーの本質ということになります。
 この定義に従うならば、マネジャーになっていく人は、原則としては「自分ではタスクを追ってはいけない」「自分が動いてはいけない」という意識の転換を求められることになります。これは口にして述べるのは非常に簡単ですが、なかなかに、最初は違和感がともなうものです。なぜなら、組織の中で昇進し、マネジャーになるような人は、当該組織の中で、何らかの事業を担い、パフォーマンスをあげてきた人すなわち「自ら動く人」であった可能性が高いからです。つまりこれまで「自分のタスクを追ってきた人」「自分が動いてきた人」が、マネジャー候補になって「自ら動かないこと」を求められているのです。
( 『駆け出しマネジャーの成長論』 中原淳 )

 こればかりが正しいマネジャー像というわけでもないだろうけど、それでも、この説明は非常に納得のいくものである。動かずして、完了させる。ということは、今まで動いてきたプレイヤーがぱたっと止まらなければならない。プレイヤーからマネジャーへの変化はまさに大転換なのであり、本当に生まれ変わりをしなければならないレベルのものになってくる。そんなの聞いてない!(>_<)、って、誰も教えてくれないから知らなくて当然なのだ。プレイングとマネージングの感覚はかくも違うものだったのかと驚かされる。(若干、そんなことも知らなかったのか、俺、、、って気もするけどw)

 「マネジャーになること」のプロセスにおいて、マネジャーが抱える障害の最たるものは「プレイヤーを捨てられないこと」にあります。
( 『駆け出しマネジャーの成長論』 中原淳 )

 まさに脱プレイングなのだ。プレイングマネジャーでも、マネジメントにおいてはプレイヤーの感覚を捨てなければならない。いやはや、こんなものだったのか。こうやって書いてもらえると、何をしている人なのか、ちょっとぐらいはわかるような気がしてくる。想像さえできなかったのが、ちょっとぐらいはわかるまでいったのだから、自分の中では大きな変化なのだ。

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 では「どうやってなっていくのか?」。これはすんごく長くなるので、知りたい人は本を読んでくださいな。突然化/二重化/多様化/煩雑化/若年化という現状の中で起こってくる7つの挑戦課題と対処法が書いてある。いろいろとヒントにはなると思う。m(_ _)m

 で、それらの課題は別にマネジャーじゃないからいいやっ、ってものでもなかった。それぞれの人が今の職場で起こっていることに引きつけて考えさせられる課題でもあるので、なるべくならマネジャーになる前に知っておいた方がいいんだろうと思う。マネジャーになってからでは、遅くはないけど、もったいない。
 部下の仕事を把握している上司はいても、上司の仕事に理解のある部下はなかなかいない。得てして、その状況が続くとマネジャーは孤独に陥ってしまう。それはあんまりよいことではない。だったら、平社員でも、経営視点ではなくて、中間管理職視点でモノゴトを考えられてもいいだろう。わたしからみれば経営視点の方が単純で簡単なのである。マネジメントの方がブラックボックスで不思議なのであった。

 もう2〜3年前に知っておきたかったなぁ、というのが本音のマネジメント知識。まだ30歳手前で触れられてよかったとみるべきかもれないが。



m(_ _)m