ナルシストっていうと、だいたいなんだかいけ好かない奴のイメージである。俺、カッコイイ。スゲェできるんだぜ。鏡を見ながら、ふふふイケメンめ、とか呟いたり。漫画なんかでは典型的な勘違いキャラとして描かれていて、まぁ、おそらく大半の人は、ナルシストってゆーと、やだ〜きも〜い、な印象なのだろう。かくいうわたしも漫画に出てくるようなナルシストは、見ては見たいけど、友達にはなれないと思う。
けども、わたしは数年前から、Quality of life なるものを高めるためにはある一定のナルシズムがとっても大切なのではないかと考えるようになった。ちったー、俺、カコイイとか思ってないと日々の暮らしなんてやってられないぜっ、ってな話である。
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朝起きて、身支度をし、仕事にいって、帰って、ご飯をつくって、食べて、ニコ動でも見て(?)、寝て、次の日を迎える。普通の生活というのはおおよそこの繰り返しである。それが単調でツマラナイと言うつもりはなくて、おおよそこの繰り返しでいい。たぶん、日常というのは人間にとって果てしなく尊い。退屈だろうとなんだろうと、そのホームベースがなくては生きていけないものなのだと思う。ハレの日ってのは、ケの日があるから成り立つもんで、毎日がハレーションしてるとそのうちどっかに飛んでいってしまう。つまりは、生活ってのはもともと単調なものなのである。
そいつをして、人は「退屈な人生を送っているなぁ」などと言うのは確かにその通り、当然のことなのだ。歴史の中で先祖代々が目指したのは、荒れ狂うことなく、平穏に暮らせる世の中だったハズなので、今、平穏無事なのはその成果であるとも言える。ありがたや〜、である。とはいえ、退屈なのである。のんべんだらりとしていては、そのうち「俺の人生なんてこんなものよ」と考え出すのが人情なのだ。気がつくとテレビの中の人と比べて、いやぁ、なんだかなぁ〜などと考えがちなのだろう。俺、イケテナイ、とか感じてなかろうか。
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そんなイケテナイに対する妙薬がナルシズムなのだ。夕日の中、スーパーに行きながら、仕事を終えて事務所を出たときに、その状況にある自分に浸ってみるのも一興なのである。好みに合わせて、なんらかの物語の主人公であるように、そのストーリーに自分を投げ込んでみる。その物語のひとつのシーンが、自分の今だと思ってみる。ある種の自己陶酔である。
シーンはカッコイイ方がいい。これは好き嫌いがあるから何ともいえないけれど、ぼくの場合は大抵が夕暮れどきになる。秋であったりもする。衰退していく時間、祭りのあと、哀愁ただよう時間帯が好きなのだ。帰宅する時間、夕食を食べる時間、本を読む夜。そんなときに、まるで映画の一場面と自分の今を重ねあわせるようなイメージをしてみる。自分は主人公の方がよいという、まさに、俺、カコイイ状態なのであって、それ以外にない。なんか自分で書いていて、気持ち悪いなぁ、って思えてきた(笑)。
ただこういう想像(妄想)をすることによって、単調な暮らしを美的と感じることができる。美的な暮らしには、自然と品が宿る。卑屈さがないあり方は、それだけで堂々とした威風をまとうというものだ。これはカコイイ状況なのだ、と思ってみるのもたまにはいいものだろう。
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ただ、勘違いしてはいけない。これは想像であって、妄想であって、現実ではない。現実を見失って、ナルシズムに因われてしまうのは、それはそれで問題であろう。それこそ冒頭に書いたような勘違い野郎になってしまう。俺はそんなにカッコイイわけではないのだ。
ナルシズムを自覚的に運用する必要がある。浸っている自分を、浸っているのだと認識する必要がある。ここを間違ってしまうと今の状況を超えた自己が出てきてしまう。過度な自己肯定は、エゴの肥大化を招いてしまう。そして、肥大化したエゴは周囲を喰らってしまう。主人公は俺だ!と言い張ってしまう態度は、必ず周囲の人間を凹ませる。これはよくない。謙虚を忘れてはいけない。
ややこしいことに、往々にして、こういう勘違いが起きるのは「俺はナルシストではない」と言い張っている場合だったりする。とっても逆説的ではあるが、例えば金曜夜に「酔ってないぞ〜」と叫んでいるおっさんをイメージしてもらえばわかりやすい。最も厄介なのは、自覚がないがゆえの濫用なのだ。ナルシズムとか気持ち悪りぃしさぁ。ぼかぁそんなこと考えないもんね。ちっとも俺カコイイなんて思わねぇよぉ。と言う人が最もナルシズムに囚われやすい。俺はデキているという幻想の罠にはまりやすい。
退屈でイケテナイ人生を送ってるんだと思い込んでいるときに、どこかがくるっとまわってこの手の罠にかかってしまうことがある。ふっとボランティアを始めて、その効用感が変な部分にささってしまい、やたらと自己満足的に動いてしまうことがあったりするのも、これなのではないかと思う。妙な自己啓発系に多いので、気をつけて欲しい。
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要はバランスの問題と言ってしまいたくはない。バランスを保つためには、相応のやり方があるだろう。自分の暮らしにはたまに浸るといいだろうし、へへへっと人差し指で鼻をこすって、どーだと友達に自慢する少年のように、冗談めいて自慢するのもいいだろう。こういうときにユーモアは効く。半分本気、半分冗談、という態度がとれるし、なにより、ユーモアは矛盾を抱え込むことができる。イケテナイ俺とイケテル俺を重ねあわせて扱うことができるので、おすすめだ。
そしてなにより、ナルシズムを毛嫌いしてはいけない。うまく使うのがいい。ツマラナイ、イケテナイのではなくて、自分がイケテルイメージを持たせてあげていないだけなのだ。ナルシストである自分を認めて、うまく育てて付き合っていく。自分の中のナルシズムとは、肝っ玉的なおかんが「あんたそんなことしてぇ、なにやっとんの〜、がははは(笑)」というぐらいのテンションで付き合っていくのが丁度いいのかなぁ、などとぼくは考えている。
なんだか、電車に乗りながらとっても論理的でない、具体的でないことを書いてしまったな。読んでいただいた方には申し訳ない。ご参考程度に。
m(_ _)m