meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

ひとりでもできるカメラ遊びを考えてみた。「One Shutter」

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 2年ぐらい前には思いついていたけど、1回もやらずに、どこにも発表せずに、頭の片隅にあるらしいお蔵にずーっと寝かせていた「ひとりカメラ遊び」を書いておこうと思う。名付けて「One Shutter」。ちょっとカッコつけてみた。概要は以下の通りだから、やりたいなと思ったら暇つぶしにやってみればいいと思う。

One Shutter のやり方。

 やり方はとってもシンプルである。まずは一眼レフなり、コンパクトデジカメなり、スマホなり、何でもいいからカメラを用意する。せっかくなので、気合いを入れた本気モードのカメラで遊ぶのがいいと思う。
 用意ができたら、写真を撮る。ただし、ここでとっても大切なルールが立ちはだかる。その日、1日で切れるシャッターは1回だけとするのだ。1回しかシャッターボタンを押せない。つまり、1枚しか写真は撮っちゃダメである。失敗したからと言って、撮り直しはできない。何枚か撮りながら感度とか色温度とかを調整するのもナシ。この際、RAWで撮るのもやめておこう。緊張感がないとおもしろうない。さぁ、こうなったら何を撮るだろうか?

 撮影が終わったならば、次はシェアである。これも One Shutter という遊びのルールと考えて欲しい。撮った写真は必ずシェアされねばならない。facebooktwitterinstagramなどなどのSNSに無加工でアップする。取り繕わずにどーんと撮って出し、ということである。気合いの一枚をフィルターなんかで濁らせちゃ勿体ない。当然のことながら、アップするSNSはより人目につくSNSの方がいい。マイナーなSNSにあげても、あんまりおもしろくなかろう。
 アップした写真には、コメントも添えることにする。言い訳を中心として、感想とか、意図とか。何を被写体にしようとして、どんな瞬間を狙って、もしくは偶然で、撮ったのか。それがわかると原因と結果のつながりが見えるもんだと思う。
 でもって、ハッシュタグなんかをつけると更に楽しくなるかもしれない。「#OneShutter」とかでいいと思う。もしかして、他にこの遊びをしてる人がいたら、写真を覗きにいくことができる。

 失敗しても全然かまわない。むしろ、その方が楽しめる気がする。


 以上の要点を整理してみると、

1)シャッターは1回だけ
2)撮った写真は無加工でSNSにアップ
3)感想などのコメントとハッシュタグをつける

 ということになる。やろうと思えば明日にだってできる。今日写真を撮ってなければ、今日でもできる。やってみたい人は暇なときにでも、どうぞ。

なぜに One Shutter ?

 シャッターというのはそれ自体が魅力的なもので、ついつい何度もボタンを押してしまうものである。特に、わたしみたいにシャッター音とか、ミラーショックとかにドキドキしてしまう輩は、メッタヤタラと撮りまくって、えへへと写欲を満たしてしまう。そうして量産される写真の中には、おやっと思うものも出てくるのであるが、やはり、そんな撮り方一辺倒ではいけないという気持ちもあったのだ。
 要は、今のシャッターは軽すぎるのだ。尻軽じゃいけぬこともある。フィルムの時代は、1枚々々にお金がかかった。その一瞬々々が勝負だったに違いない。
 そんなことを考えていたときに思いついたのがこの遊びだった。デジタル時代の特権をかなぐり捨てると、どんな感覚になるのかも知りたかった。そのくせ、まだ自分でやってみたことがないということは、わたしはシャッターの呪縛に、誘惑に、回数制限のない自由さに、縛り付けられたままだということを意味している。うーむ。
 昔、撮り鉄さんから first shutter という言葉を聞いた。新しく買ったカメラで撮る、最初の1枚のことらしい。恥ずかしながら、テアタリシダイ派のわたしはそんなことを考えたこともなかった。買ったらスグ、攝り始めていた。撮った分だけ、買った甲斐があると信じて疑わなかった。だから、first shutter の気概には、憧れを感じたのだった。

 さて、ここまで書いたのだから、わたしも暇な日を見つけてやってみようという気になるかもしれない。そんでも面倒くさがってやらないのかもしれない。。。(;・∀・)

 

m(_ _)m

 

 

昼の学校 夜の学校+ (平凡社ライブラリー)

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類語辞典が欲しい。

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 と、思っている。なんでまた類語辞典かというと、まだ持ったことがなくて、使ってみたいからだ。単純明快、てか、今まで持ってなかったかんかいな、と自分にツッコミをいれたいぐらいである。
 もちろんWeblioとかは使ったことがある。わりとヘビーユーザーかもしれなくて、文章を書いているときにはちょくちょく言葉の意味を調べている。書いているときに意味がわかっていない言葉がなぜ思い浮かんでくるのかは謎だけど、あやふやなままで使うわけにもいくまい。なので、わたしが文章を書くときには常にオンラインであることが大切だったりするのだ。WiMAXを手放せない理由はそういうところにもあったりする。

●◯。。。...

 それはともかく、類語辞典である。意味の似た言葉をたくさんに連ねてある、そのパワーを自分の中にインストールしてしまいたい。そんな欲望に駆られている。(ちなみに、この場合、買っただけで満足して活用されないという愚の典型パターンに陥る危険が非常に高い。家の中にはまだインストールされていないソフトウェアがたくさんあるだ。ああ、もったいない)
 そんなわけで、まずはリサーチである。「とりあえず検索」ができるのは現代っ子の特権なのである。「類語辞典」で調べると、WeblioなどのWebサービスがたくさん出てきて邪魔であった。「類語辞典 おすすめ」で調べてみると、「おすすめ」の同義語が出てきた。違う、それじゃない。
 求めているのは、何となく、やっぱり紙の辞典なのであって、インターネット上の辞典でもないし、アプリでもないのである。ちょっとアプリは気になるけど、手元のiPhoneで調べたりできるのは興味があるけど、ここは古風に、真っ当に、紙の辞典を使ってみたいのだ。ほんとに使うかどうかは別にして。
 こうやって、1ヶ月ほど思いついたときに検索をかけて、ちょいちょいと探索をし続けた結果、たどり着いたのが以下の記事である。結局、千夜千冊なのかよ!と自分にツッコミを入れつつ、読んでしまったからしょうがない。

 

775夜『角川類語新辞典』大野晋・浜西正人|松岡正剛の千夜千冊

 

 ふむふむ。『角川新類語辞典』がおもしろいらしい。ふむふむ、むむむ。

角川類語新辞典

角川類語新辞典

 

 しかし、この辞典、1981年の出版である。これはちと古いんでないかい?と疑いたくもなる。新版はないのかしら?と下にスクロール。ここでAmazonの罠にかかってしまうわけだ。待ち受けていたのは『てにをは辞典』だった。 

てにをは辞典

てにをは辞典

 

  レビューを見るに、こちらもなかなか楽しそう。類語とはちょいと離れるけども、なんか言葉の幅は広がりそうだし、『角川新類語辞典』みたいな格式高いハードルが感じられない。なにせ装丁が可愛い。見本ページを見に、三省堂のホームページまで行ってしまった。と、なると、『てにをは連想表現辞典』も気になってしまう。うう、悩む。

●◯。。。...

 正統派で『角川新類語辞典』にするか、新しさと可愛さに負けて『てにをは辞典』にするか。ぶっちゃけこうやって悩んでいる時間の方が、辞書をひく時間より長いんだろうなぁ、と思いつつ。今日もちびちびと検索をしておりますです。

 

 

m(_ _)m

 

 

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