meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

投資と消費の違いってなんだろう?


 今日、遂に愛車のスーパーカブをメンテナンスに出した。

 いや~、だいぶと酷使してるのに、全然手をかけてあげられなかったから、
 相当いろいろ直されるだろうな~。 正直、どれぐらいお金かかるんか
 びくびくである。

 さて、今日のお題は、「 投資と消費 」

 このメンテナンス費用は、私の認識では明らかに投資なんだけど、
 見る人が見たら、消費に見えるのかもしれない。

 この2つの違いって、なんなんでしょう?



【 高級品に囲まれて生活したい!って思ったことはあります。てか、今でも。。。 】


 試しに「 投資 消費 」でググってみたら、こんな切り分けが出てきました。

  買ったものが、払った額以上の価値があるなら=「投資」
  買ったものが、払った額と同じ価値なら=「消費」
  買ったものが、払った額以下の価値なら=「浪費」

 はい。あんまりピンとは来ませんね。
 基準が「 額 」になってるのが、実に気持ち悪い。。。

 基本的に僕の考え方ってアウトローなんで、
 逆に言えば、今の社会ではこの考え方が有効ということかもしれません。


 例えば、

 今日バナナを買ったけど、これは消費でしょうか?

 バナナを買ったのは消費行動かもしれんけど、食は自分の将来に影響するものだし、
 健康を気にして、とか、カロリーをとるためって考えると投資っぽくも思える。
 さらに、このバナナがフィリピンから輸入されてて、バナナを買うことで新しく
 プランテーションだかなんだかができていくとか考えると、投資っぽい。

 例えば、

 先月靴を買ったんだけど、これは消費だろうか?

 どんどん靴が破けてきて、新しい靴を買わざるを得なかったと思うと、普通に
 消費なのかもしれない。ただ、これも、例えば「 もっとかっこよくなって、女の
 子に好かれるといいなぁ 」と考えると投資に見えてこんだろうか?

 例えば、

 今日はお休みだったので、昼寝をしてしまったんだが、
 これは時間の消費だろうか?

 これもよくわからん。消費といえば消費だが、疲れを癒すとか考え始めると、
 投資的行為とも思えなくもない。


 こうやって考えてみると、何らかの目的を持ってお金や時間を使うと投資っぽく
 見えてくるようだ。ただ、全ての人がいつでも何でも「 何のためにやるか 」
 なんて考えてないので、「 買いたい! 」とか「 食いたい! 」とか
 「 寝たい! 」とか、思って行動するんで、そこに消費って概念が当てはまる
 んじゃなかろうか。

 ただ、目的はないにしろ、将来につながるものは将来につながるんで、その点が
 怖い。ゴアが『不都合な真実』で訴えたようなことで、無意識的にも投資して
 しまっているのではないか。

 敢えて言うならば、広義の投資は目的意識もない消費行動を含んでいるってことか。



 いや、しかし、行為の次を考えるとか、影響するところとか方向を考えるってのは、
 なんというか、循環的考え方だなぁ。 私もそういう思想の影響をだいぶ受けて
 きたんであろう。

   消費は、そこで終わりである。

   投資は、そこで終わらない。

 こう考えると、「 消費 」は、60~90年代社会の大量生産・大量消費社会が
 生み出してきた1時的な概念であるようにも思える。マクロに考えれば考えるほど、
 「 そこで終わるもの 」なんてないんだろう。

 思考停止的な考え方、なのかも。



 さてさて、ここまで考えてきて気付いた。

 「 投資 」って、もしかして、将来の「 イイコトに向けての行動 」に対して
 使う言葉だったかも。使い方が間違ってたら、申し訳ないm(_ _)m

 言葉って、生半可な知識で振り回すもんでもないなぁ。