meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

Will Can Need の違和感


 自分の仕事を考えるときに、

 Will Can Need に注意するといいという。

 Will ・・・ やりたいこと。
 Can  ・・・ できること。
 Need ・・・ 求められること。

 WillとCanが重なるところが「 趣味 」
 Needの領域がお金を稼げるところ、と言えるだろうか。

 この3つの領域が重なったところに仕事を求める、
 もしくは創るとうまくいくらしい。

 で、

 感覚的になんだけど、

 だいたいの人って以下の図みたいになってない?



 CanとNeedが重なった部分が、いわゆる仕事。 ライスワーク。

 WillとNeedは往々にして重ならない。


 さぁ、こんな図になったときに、どうやって3つの領域を重ね合わせようか。

 Canは、努力次第で縦横に伸ばすことは可能。
 主にWill方向に伸びるもんだと思うけどね。

 Needは、これ、自分のことじゃない。世の中、他人から必要と
 されるか、ってこと。だから、すんごい広告宣伝とかしないと、
 思い通りには変化させられない。

 じゃあ、Willはどうだろう???
 Willって拡張させられるのかな???

 好奇心をもっていろんなことに取り組む。
 いつの間にか自分のやってることを好きになる。

 まぁ、そういうこともあるだろう。

 けれども、だ。なんかわざわざNeedに合わせてWillを拡張させる
 必要はあるのだろうか?3つの領域が重なれば御の字だけど、そうもいくまい。

 で、この説明だと3つの領域を重ね合わせたくなってしまうから、
 最終的に「 私はこれがしたかったんだ! 」とか、無理にWillを
 捻じ曲げそうで違和感なのだ。 



 Willは下手に伸ばさない方がいい。 その方が生き方不器用である。

 そこに変に器用にならなくていい。

 問題は、Will領域をどうやってNeed領域に滑り込ませるか、ではないか。
 そこにこそ、器用になっていたいもんだ。



 自は、他であり、他は、自である。

 実は人間の境界は曖昧で、不明瞭。
 求められていることが、自分のしたいことにすり替わる瞬間なんて多々ある。
 まぁ、それはそれでいい。確立した自己ほどめんどくさいものはない。



 そんでも、

 自分に嘘をつかず、心を把握しながら、ニーズに応えて生きる。

 正しそうに見える生き方ほど、なんだかとても難しく見えるもんだ。