meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

思ったままを伝える場所が欲しかったのだ。


 今日のツイートの中に、スティーブジョブスのプレゼンすげぇ!
 的なつぶやきをしてた後輩がいた。

 いや、確かにすげぇ。 ただ、「 鮮やかだ 」という言葉が
 妙にひっかかった。すげぇプレゼンは、鮮やかだろうか?

 先週土曜日に行われたビジネスプランコンテスト。
 最初の発表者は、お世辞にもプレゼンが上手いとは言えない。
 簡単にいえば、マイクの使い方さえわからない程度である。
 途切れ途切れで、言葉はまったく続かない。

 ただ、だからこそ、場の雰囲気を変える。聴こうとさせる。


 明らかに、あの場を作ったのは彼だ。 意図しようが、しまいが。




 まとまったもの、整理されたものが必ずしも美しいとは限らない。
 そればっかりが人を動かすもんでもない。

 だからこのブログも整理しないw (と、整理できてない言い訳をするw)






 ただ、僕の場合、気を使うと妙にブログが書けなくなる。
 ほんの1ミリでも気を使うと、途端、言葉がでなくなる。
 そういうことが非常に多い。

 整理しよう、綺麗に書こう、この団体の理念に沿うように。。。

 もう、嘘ついてるわけじゃないんだけど、完全に嘘のような文章になってしまう。

 そして、悩む。  これ、なんか伝わってるか? と。

  ( こういう場合、書き悩んでいることだけは伝わる気がする )


 こんな経験を重ねていると、なんだか気持ち悪くなってくる。
 嘘をついているわけではない。だけど、これは僕自身ではない。

 だから、ある意味、今はこのブログに救われている。
 ここでは、自由に文章が書ける。

 間違っていてもいいわけだw




 さて、最初に戻ろう。

 プレゼンっておそらく技法もあるし、整理もあるし、見せ方もあるだろう。
 それらをおさえた上でってのは、よくわかる話だ。

 発声、タイミング、リズム。

 ただ、ただ、そのベースにあるのは、「 本当に伝えたいこと 」だ。
 それが気兼ねなく自由に伝えられることだ。

 実は欠陥がある商品のプレゼンで感動することはあるまい。
 確信をもって、信じているから感動するんじゃなかろうか。


 実はここさえ抜けていなければ、感動するプレゼンってできることが
 ある。そんで、ここが抜けているプレゼンってのは、何が揃っていても、
 いまいちだったりするのだ。

 

 ああ、やっぱり、
 自由に話すことができるのはいいなぁ、と、この記事を書いても思う。