学生寮という場所
学生寮出身である。
というと、なんだか男子寮出身者で、お酒をガブガブ飲みそうなイメージだ。
だが、残念ながら酒を気持ちよく飲んだ覚えはない。「 変人多し 」と名声
高い大学の、中でも濃度の濃いのが集まっているのが「 寮 」というもの
だろう、とか言われそうだが、現実は結構普通の人ばかりなもんである。
私は、一番落ち着いて、人見知りで、引き篭もりな学生寮の出身である。
【 ここが私の原点だと言えば、少し大げさだろうか? 】
先日の「 関西帰省 」でおよそ9ヶ月ぶりぐらいに帰郷した。
当たり前だが、まわりは後輩だらけであり、なんだかちょっと淋しかったが、
寮という場所は相変わらずそこに残っていた。あまり予定も入れておらず、
ゆっくりとできたので、試しに月曜日の午前中ほとんどの時間を寮の食堂で
過ごすという社会人にはあるまじき行為をしてみると、当時の感覚が蘇る。
「 比較的自由な立場にいる私でさえ、こんなにも寮生の感覚を失っていたのか 」
と、驚かされた。そこには膨大な時間が広がり、全くの無為と怠惰が推奨されて
いたのだ。3年下の後輩が言う。
「 私は3年ここに暮らして、大変なダメ人間になりましたよ 」
彼女の笑顔はとてもすがすがしい。確かにここでは、何もしないこと、無駄に
時間を過ごすこと、無意味な努力、価値のないような知識が尊敬を集める。
朝7時に起きてご飯をつくり、部屋に戻って12時にご飯をつくり、食堂で
ゲームをして、夕飯をつくり、寮生と夜遅くまで彼女ができないとか、できない
とかいう話を繰り広げ、深夜まで語って寝る。
そんな生活が笑いでもって受け入れられる。実際のところ、私もそんな生活を
過ごしていたものだ。高校時代はあんなに待ち合わせ時間に厳しかった人間が
1年もしないうちに、集合時間に家を出る人間になる。これは、うちの大学と
寮との合わせ技であろう。
ただし、寮生の顔は腐っていない。 むしろ穏やかな笑顔の方が印象的だ。
「 世の中を変える! 」って言ってる奴もいるが、大半が普通の人であり、
今の怠惰を存分に楽しんでいるようにみえる。社会に対する態度は、とても
「 ゆっくり 」である。
「 気になる人がいるけど、、、 」
「 お前から聞く話は、だいたい3パターンしかないな 」
「 TUTAYAの店員に連絡先を渡したい 」
「 イケメンなんだからもっとオシャレをするべきだ 」
「 今週のジャンプは・・・ 」
「 シャミ猫かわいい! 」
何気ない会話で時間は浪費され、授業をサボることを咎められず、毎年1~2人
の留年生を輩出する。一体、この場所の価値はなんなんだろうか?とさえ思って
しまう。
【 日常的に先輩をおちょくる後輩 いつもそこには他人がいる 】
「 私は、この寮の出身であることを心底誇りに思っている 」
とは、神戸大学だったかどっかの教授の言葉である。その分野では結構名の知れた
人だったような気がする。寮の総会での言葉に、何となく身が震えたのを覚えている。
その方は、たしか60歳を越えたお年寄りだ。運営への口出しぶりは、それはもう
煙たいものであったが(笑)
無意味は、今のバラダイムからの価値判断でしかない。
無駄は、未来の有意義かもしれない。
もともとキリスト教の求道者が集まったこの場所は、学生運動時代の本拠地に
なったこともある。その名残を残し、多くの社会運動がこの寮を舞台に行われた。
90年代には徐々にその感覚が薄れ、00年代前半、私の3つ上の代が強力にその
空気を排除した。以来、社会に対して複雑な姿勢をみせている。
怠惰であり、「 一般 」に対する憧れを抱きつつ、馴染めないような。
その態度には色濃い「 ニート性 」があらわれている。
寮生の大半が、最高学府の徒ということに、おどろかされる。
ある後輩が、来春から地元の小さな街の役所に勤めることに決まったという。
彼女とともに、その街に移り住み、夢は子供の運動会で活躍することだ、と。
1年間ともに暮らした経験から言えば、彼は相当優秀である。およそ就職活動
に必要とされている能力はあらかた備わっているといっていい。
「 何かに気付いているんじゃないか 」 とか、思った。
若者の悟りの境地ではなく。彼は「 ニート性 」を保持し続けながら、
社会的責任も一応果たせる道を選んだように思えた。
月曜日の午前、食堂では授業に行く寮生あり、サボる寮生あり、サークルの
ビラをまきに行く寮生あり。それぞれが好き勝手、ここに先輩が転がっている
のを気にかけず、それぞれの自由な日常を楽しんでいる。その関係はとても
ゆるやかで、ありきたりである。
自然なコミュニティでありながら、何か、次のパラダイムを感じさせる
場所だなぁ、と思わないこともない。