meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

震災なのに、行動しないの?

 
 震災関連のニュースを見ていると、もう何がなんだかわからない状況になってきている。とにかく水が足りない、電力が足りない、灯油が足りない、と、本当に豊かな日本の話なのだろうかと思ってしまう。と、同時に、ここ3日ぐらいずーっとおんなじようなニュースと映像に触れているため、この危機を「 見慣れて、うんざり 」もしてしまっている。
 
 とにかく、行動を! と感じていたのも束の間。
 
 いろんな人の主体性を引き出し、引き出しすぎたんじゃないかとさえ思えてしまうような気もしている。寄付ができるところもばんばか立ち上がり、どこに寄付していいやらわからず、少しばかり船頭多くして船、山に登りかけている気も、実は、している。
 
 不思議な感覚であることは、間違いなく、現段階の個人的なスタンスは「 ひとまず、静観し、普通の生活をしていよう 」だ。ベースはニートで引きこもりの私らしく、「 何もしない 」コマンドを選択している。
 
 
 
 この震災に関しては、みんなが様々な選択をしていることと思う。この困難に向けて、それぞれの「 できること 」をあわせて、みんなで乗り越えようとされていることだと思う。そして、多分この「 何もしない 」を選択するのは、心苦しいものだ。
 
 「 なんでしないのさ? 」 と、問われかねない。
 
 そして、論理的な答えは持ちあわせていない。
 
 
 
 そういえば「 なんで行動しないの? 」と問い詰められたことが1度ある。いや、問い詰められる、というと表現がきつ過ぎかもしれないけど、まぁまぁの強制力をもった場だった。
 
 うちの学生寮で、代々受け継がれているボランティア、障害者の介護への誘いを受けたときだ。当時1回生だった僕の同期数人が参加し、1度見に来ないか?と当事者も招いての説明会みたいなことをしたのだった。
 
 興味はなかったが、好奇心はあった私は、行ってもいいかもなぁとまでは思っていた。しかし、なんとなく行くのを渋りはじめると、場は変な方向に流れていった。嫌な感じだった。
 
 「 そうは言っても、忙しいから 」
 →「 時間はそんなにかからない。なぜ来ないの? 」
 
 みたいな空転するやりとりが続き、最終的に同期の1人が果敢にもキレはじめて、交渉は決裂に終わった。僕は「 当然くるべきでしょ 」という空気に挑んだ友達は、本当に偉いと思っている。
 
 
 
 
 
 これは震災の話とは、別の話だけど、同じ問いに向かっている気がしている。何かした方が「 いいに決まっている 」雰囲気があるから何かすることをためらっている、とも言えるかもしれない。
 
 「 いいから、いいじゃん! なんでしないの? 」
 
 は社会貢献をしようとする人が陥りやすい主張。それが本当によいかどうかを見極めようとする人がいてもいいはずだ。
 
 
 今回、僕は正確な情報が入らないことや、役立ちたいけどお金も力もないこととかとあいまって、現段階では普通に生活しようと思ってます。反社会的だし、非国民w そんな茨な道をなぜ選ぶのかも、正直自分でもよくわかってないんだけどねぇ(笑)