ISIS編集学校、24期「守」卒門式。その他のコースの卒業
式もあわせ、みんなまとめて「 感門之盟 」と名づけられ
ている。読み方は「 かんもんのめい 」。通信教育形式を
とるISIS独特の、オフ会みたいなものだ。いつもは3月に
行われるのだが、震災によって1ヶ月延期になっていた。
テーマ( 名前? )は「 共読区 」。共に読む。経験を
共有する。それぞれが、それぞれの編集を共有するってこと
だろうか? 何にしても味のある書である。
松岡正剛って人の本をきちんと読もうとしたのは、今年の夏。
「 正剛にチャレンジしてみたいんですよ~ 」という僕に
うちの副代表がすすめてくれたのは『 フラジャイル 』だ
った。初めて松岡正剛を読む人に、いきなりなチョイスでは
あるなぁ、と今にして思う。反面、もっともな選択でもある。
通して読んで、2割ぐらい感じられて、そんだけでもなにか
共感してしまう人が、松岡正剛に向いている、、、とでも言
えるだろうか。
弱く、微細で、もの哀しい。音量が小さいからこそ、澄んで
聞こえるような感覚について、これほど深く、多面的に考え
た本があったのか。 そんな驚きとか、何かにコツっと当た
ったような気分で読み終えていた。気になる人は読んでみる
といい。文章はかんたんだから。
そうそう、感門之盟の感想を書こうとしていたのだった。。。
ちょっと宗教じみて松岡校長が奉られる、って噂も聞いてい
たのだが、総じて感じたのは「 松岡校長はマスコットなの
かな 」ってことだった。
テレビなんかにも出演するようになり、『 わたしが情報に
ついて語るなら 』みたいな子ども向けの本も書き、とにか
く「 編集 」ってものを残そう、残そうと生き急いでいる
のかなぁ、って見ていた。それが、どうも、違うようだった。
というのも、おそらく、ISIS編集学校ってのは松岡校長が
亡くなれば消えてしまうのかもしれないけれど、「 編集 」
って方法は既に多くの、多くの人たちに受け継がれているよ
うな気がしたからだ。既にこのコミュニティは編集を教える
人を300人以上抱えている。そして、ストレートに学べば、
入門から1年半もすると「 師範代 」、つまり教える人に
なってしまう。参座(ワークショップ形式)や業(企業研修)
など、編集学校以外の形式で伝えていく道も開拓されており、
金銭的に厳しいのかもしれないが、編集は着実に根付き、広
がりをみせてる、、、ように感じたのだ。
まだ、みんなのコアとしての松岡校長は必要だろう。その意
味で、マスコットなのかな、と。編集を伝える方法まで、直
外の人が関わりながらつくっている。
もう、「 編集 」はなくならない。
だから、生き急いでいるわけじゃなくて、今が時期だ、と、う
って出ているようにも思えてきた。 そして、同時に、そんな
コミュニティをつくりあげることができたのはなぜだろうか、
という疑問も浮かび上がってきた。これについてはもうちょっ
と僕が入り込まないとわからないのだろうなぁ。
と僕が入り込まないとわからないのだろうなぁ。
>> 長くなりすぎたので、つづく