meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

8割の価値。

 第7回MMD杯が終わりましたねぇ~( 話題が遅い? ) 運営のみなさま、制作/参加されていたみなさま、そのたもろもろ関係者のみなさま、本当にお疲れ様でした。久しぶりにニコニコ動画のクリエイティブの連鎖みたいなものを感じることができました。

 優勝作品、準優勝作品ともに「 歌ってみた 」や「 踊ってみた 」をもとにした作品。もはや誰がどう受賞しているのかわからない感がありました。1人の人間の枠を超えて、アイデアにアイデア、技術に技術がたされていく。ほんと、どこまで行くのか楽しみで仕方がありませんw

 40分近い閉会動画はなんか感動もんですw


 はい。そんなニコ廚な発言はここまでで(笑)こういう作品群を見ていてもわかるんですが、その作品数たるや、もう山の如しもいいところなわけです。その中で人目に触れる作品はほんの少し。その他、異常な数の有象無象が背景に隠れています。

 よく8対2だとか、パレートの法則とか言われてますね。世の中の2割の人が8割分生産してるとか、稼いでるとか、そーいうやつです。これは確かに真実っぽくって、私も就職活動時に「 なんでこの会社の技術がこんなに高くなったんだと思う? 」とか聞かれて「 1人の天才がいたから 」って答えてましたw 2割のよく働く人がいれば世界はまわるってのも半分は真実なんでしょう。哀しいもんで。

 だけれども、その2割ってのが生まれるためには、8割が必要だったんじゃないか?って思うわけです。比率の話なんで、どこをどう切り取っても金太郎飴みたく、2と8が出てきてしまうという、無限回廊でどこまで話していいものやらわかりません。そんでも、もし、2割が8割に支えられているのだとしたら、8割の価値も認めてあげなければならないと思うのです。凡庸な8割も、グラデーションで、ほんとにクズのような作品だったり、人だったりもいて、それら全ての作用/影響の中ですんげぇモノが生まれてるんじゃないの?とも思うのです。

 僕も含めて、そーいう凡人たちにも再チャレンジの機会を与えようとか、育てようとか、2割に入れるように伸ばそうとか、そんな発想自体が違うなぁ、って思っていて。凡人は凡人だから、再チャレンジさせてもまた失敗するでしょう。8割は8割であるから価値があるんであって、たまにそこから抜け出していく人がいてもいいけども、やっぱり8割がそのまま8割で生きていくコトの方が多い。だから、そのまま生きていけるような仕組みにしていってもいいんでない?ってことを思うんです。

 いや、別に成長しちゃいけないことはないんだけどさ。


 具体的には、ベーシックインカムなのか、福祉国家政策なのかは、わかんないんだけども。再配分の構造をつくり変えて、生活の心配をせずに凡人が凡庸な何かをつくり続けて生きていける世界が理想だなぁ。そしたら、もうそこには、オンリーワンもナンバーワンも必要ないんじゃない???

 ひと1人が「 ワン 」って単位でおさまる時代でもないでしょうに。

 

 

ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫)

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