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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

今日は夕焼けがキレイでした。

  今日の夕焼けにはテンションが上がりました。黄金、赤、紫、キレイな青へのグラデーションです。バ
 スの中で「 おっ ( ゚д゚) 」と思って、気がついたらカメラを取り出していました。バスを降りて河
 川敷まで走っていました。それぐらいキレイだったし、なんだか無性に夕焼けを撮りたかったのです。

  昔から「 僕は夕日運がいい 」と言い切っています。特に旅に出たときには、いい夕日に出会うこと
 が多いです。これは、夕方が好き過ぎて仕方がない僕に、神様が与えてくれた才能だと、勝手に思ってい
 ます。日の出よりは日の入りを、明け方よりは夕方が好きです。旅に出て、何かに感動していたり、何か
 を美しいなぁ、と思うのは、だいたい夕方です。

  松岡正剛氏の『 フラジャイル 』に、トワイライトシーンという一節があります。夕方について書か
 れたこの節が、この本の中でも一番お気に入りだったりします。夕方に感じていた微細で微妙な何か、何
 となく漂う哀愁とか、ちょっとしたワクワク感とかが、僕の腑に落ちる表現で、ストンとコンパクトにま
 とまっているのです。

  黄昏が異様な気分をつくるのは、「自分」というはっきりしたものが夕闇にまぎれてファジーにな
 ってくるからである。風景もまぎれる。それとともに行きかう人々の顔もわかりにくくなり、自分も
 他人もだんだんまぎれ、両者ともにゆっくりと区別を失い、ついには互いに溶暗してしまう。この
 「まぎれる」ということがたいせつだ。アルタード・ステーツといっても、ようするにどのように
 「まぎれる」か、そのことなのだ。

  「 たそがれ 」の語源は「 誰ぞ彼 」であるとの解説に続く文章です。自分と他人、自分と環境、
 それらの境界がなくなっていく感覚。昼から夜へのトランジットであり、その中で気分もうつろいやすく
 なります。境界が曖昧になるので、ほんの少しずつ、誰かが入ってきたり、どこかへ出ていったりするこ
 とができます。自分がブレて、他人との距離が幾分縮まります。何となく親密な空気感が漂うのは、その
 せいなのかもしれません。

  昼間や夜中では強すぎます。明け方は野暮です。光がぐっと強くなっていくよりも、すっと弱くなる方
 に惹かれてしまうのです。これは夕方や夕暮れや黄昏に「 弱さの本質 」がひそんでいるからだ、と書
 いてあって、ああ、なるほどなと納得してしまいます。
  微細感、危うさ、やわらかさ、薄さ、細さ、壊れやすさ、切なさ、淋しさ、無常観、それらに通じる感
 覚があるのは、なんといってもトワイライトシーン、夕暮れなのです。

  そう考えると、僕の夕暮れへの愛着は、そのまま、弱さへの愛着なのかもしれません。同時に、弱さも
 また、夕暮れのようにファジーでトランジットなものなのかもしれません。





 m(_ _)m
 

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