meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

仕入れてますか?


【 休日に写真を撮りにいくこと。これもわたしにとっては仕入れです 】

 ご無沙汰しております。kimuraです。最近はなかなか自分の文章に向かい合う時間が取れずにおります。忙しいのはよいことです。いや、別に、忙しいわけじゃないんですけどね。。。(;・∀・)


 ここ数カ月、「 黒猫タロウの屋台屋本舗 」なるものに触れていて、少し不思議に思うことがあります。“仕入れた分しか売れない”って非常に基本的なルールがちゃんと伝わらないことがある、ってことです。屋台の経営を模したゲームですので、“仕入れ”と“販売”があります。もちろん、材料を仕入れた分までしか、売ることはできません。これは自明なこと、、、なのだと思います。ところが、やすやすとそのルールを飛び越えてしまおうとする方がいらっしゃる。そこに違和感です。
 もちろん、わたしの説明の仕方が悪い、ってこともあるでしょう。ゲームの前にはしっかりルールを説明すべきで、いやまぁ、これはわたしの怠慢です。しかし、そう結論づけてしまってはおもしろくない。他に原因があるんじゃないかとか考えて、ふと、みんな“仕入れ”の感覚を意識したことがないんじゃないかとか思った次第なのです。

 “仕入れ”ってなに?と言われても説明のしようがありません。仕入れは仕入れです。売るために、まずは仕入れるわけです。昔、職場の方に資料を紹介してもらったときに「 こういう本を読むことは、ぼくらにとっては仕入れだからね 」と言われたことがあります。これはわかってる人にとっては当たり前のことです。知識がないと働けない。事例を知ってないと説明できない。新しい考え方を身につけていないと次の流れは読めません。経営者やコンサルタントや、その他もろもろの職についている方にとって、それは常識のようなもんでしょう。
 じゃあ、勉強するのが“仕入れ”か?って言われたら、どうもそればかりじゃないと思います。社会人になったとき、初めての師匠からは「 よく遊べ 」と言われていた、ような気がします。うろ覚えで申し訳ないのですが、しばしば居酒屋で知り合った仲から仕事が生まれていく話を聞いていました。わたし自身も、プライベートで知り合い、やがて、いつの間にやら、仕事へとつながっていく経験を何度かしました。なるほど、これもいわゆる“仕入れ”なわけです。

 ここでこの言葉に立ち戻っていただきたいのです。「 仕入れた分しか、売れません 」まさしく、言葉どおりだと仮定するならば、一個人としても、仕入れないと価値を出せないという結論に至ります。会社の経営ってのは、法人が生きるための術みたいなもんです。法人を個人に置き換えれば、自ずと個人の生き筋みたいなもんが浮かび上がってきます。これが類推っちゅーもんだと思う。アナロジーは新たな発想を与えてくれるものです。
 つまり“仕入れ”は個人のことでもある。だから各々が仕入れの感覚をもっておいて欲しいなぁ、とか思ってしまうのです。

 はい。ここまで読んで「 あー、わかった、わかった。勉強したり、遊んだりしたらええのね! 」と理解されても困るので、もう少し書きます。ちなみに、勉強したり、遊んだり、ってのは間違いじゃないです。リア充な方は、リアルを満喫されればいい。ひがみじゃないですよ。ひがんでなんかいません。うらまやしいなんて思ってないんだからね!!!(・∀・)

 整理してみるに“仕入れ”には2つの種類があります。1つは勤務時間内に行うもの。他方は夜や休みに行うものです。勤務時間内に行う代表的な仕入れは研修です。企業としての人材育成ですね。これは言わずもがな。真面目に受けて、勉強すりゃあいいです。わたしが重要視するのは、勤務外に行う仕入れです。こいつをどう捉えてますでしょうか?

 ここで挿話的に、あるブラッキーな会社の話をさせてください。わたしが所属したことのない会社の話ですので、あしからず。
 その会社は勤務時間が非常に長く、朝まで働くことも多いそうです。みんなが寝てない。ずーっと仕事をしているわけです。事業的には、新規事業の立ち上げや新たな仕組みづくりで、頭も体も使います。事例もいっぱい、いっぱい知っていないといけません。さて、そういう会社で何が起こっているか?これはわたしの予想でしかありませんけども、おそらく勤務時間内に仕入れるしかない状況になっているでしょう。もし、そんな状況であれば、わたしはそれを危ないことだなぁ、と感じます。勤務時間内という縛りのおかげで、会社の文脈にのった仕入れしか行えないからです。
 余程自由な社風でない限り、勤務中に事業につながらないことを行うことはできません。また、わたしの経験上、資料を読む時間を勤務中に取ることが、なぜかできません(これはわたしの性格のせいかもしれない)。事務所って、作業はできるけど読みこむような集中ができる環境じゃないんですよね。それに資料を読むって成果に見えにくいし。ともかくも、勤務時間内は縛りが偏りを生み、成果主義が変な圧力と非効率を生みます。仕事中は作業した方が無難です。

 だから、勤務時間外がポイントなのです。自由に使えるって前提がとっても大切なのです。会社の文脈にのらなくてもいい。グダグダしていい。休んでいい。それが個人の“仕入れ”です。おさえておくべきは、その活動(もしくは休養)が自らの価値につながっていくってことです。仕入れた分しか売れない。つまり、仕入れた分しか価値を出せません。経営にたとえるならば、破産しない程度にリスク管理しながら、しっかり仕入れておくべきなのです。
 その仕入れにも、絶妙なバランスが、たぶん、あります。会社内を見回して、誰も行ってなさそうなところに向かう。そうすると、なにか自分の立ち位置のようなものができてきますし、会社としても効率がいい。Aさんが顔を出しているイベントに、Bさんが一緒に行ってもいいけども、、、ね。
 新しいアイデアが生まれるのは、いつも動きの中です。ある思考様式をまったく別の環境に突き合わせてみることで、なんかが発生します。情報は動いてこそ価値を発揮します。止まっていたら、単なる知識でしかなく、固まった物の考え方は、今や悪です(極論ですw)。動かしにこそ、知性が宿ります。あとアイデアは無から生まれません。いきなし、突発的に、なにか生まれるなんて無茶な話です。それができるのは宇宙ぐらいです。
 ならば、なんとなく別の領域に向かう方がいい。この「 なんとなく 」が絶妙です。勤務時間外の自由さと、とはいえ何か仕入れておきたい気持ちと、社内のスタッフがどっちに向かうのかを気にする雰囲気などなどが、折り重なって出てくるバランスです。勤務時間外だからって、白紙と向き合ってるわけじゃない。ガイドラインがなんとなくある。偶然起こる奇跡的な発想の衝突を待ち構える呑気さは持てません。でも、計画的にことは起こらないのです。大事なことなので2回言います。でも、計画的にことは起こらないのです。

 そして、おそらく勤務時間外でないと、この「 なんとなくさ 」は出ません。





 ここまで考えて休日過ごしてる方はいらっしゃらないと思います。わたしも考えてません(笑)体力や精神力が限界原形質分離、じゃなくて、限界なので引きこもってます。やっとこさ、月に何度か動けるようになるかな、、、ってぐらいのとこです。考えもまとまっておらず、仕入れの表記もグダグダです。ここまで長文を読まれた方は本当にお疲れさまでした。駄文なのはいつものことと感じつつ、申し訳なし。
 謝々謝々 m(_ _)m
 もひとつ、このテーマで追記しておきます。この先、どうなるかは読めませんが、この記事を書きつつ「 これからは、一企業内のみで完結する前提での人材育成では立ち行かなくなるんだろーなー 」って感じました。わたし自身がIT業界出身で、人材流動によってノウハウが広まり、高まっていく環境を経験しているからかもしれません。しかし、創造性を重要視するならば、異質をぶつけなくてはなりませんし、情報を動かさなくてはなりません。
 そして、パラドシカルですが、この言い回し、この意見自体もわたしの固定概念、もしくは一旦の結論ですね。





 m(_ _)m