meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

ファシリテーションってなんですか?


【 波紋を捉えて、編集する。それがファシリテーション、、、とも言えるw 】

 「kimuraさん、ファシリテーションを教えてください」

 そう言われて、ハタと困ってしまいました。わたしはファシリテーションを知っているようで知らないし、ファシリテーションをやっているつもりもありません。そりゃまぁ、会議の進行とか、グループワークの企画・進行とかはしてるんですけども、それがきちんとしたファシリテーションであると思ったことはありません。実のところ、体系だって学んだこともないのです。
 こんな心もとないわたしが、それでも何かしらファシリテーション的なことをしてしまっています。できているかどうかはさて置き、してしまっているのは事実で、それがこの地域のファシリテーションの恐ろしさでもあります。門前の小僧の如く、教えたわけでもないのに伝わっている。教わったわけでもないのに身に染み込んでいる。学びってそういうもんだったりしますよね。だから「知っているようで知らない」わけで、未確定だから、未達です。何らかのパッケージがあって、これができたから、ハイッあなたファシリテーターね!、と言ってくれないのがこの地域のファシリテーションの恐ろしさやなぁ、と、わたしは思っています。

 さておき、ともかく。わたしがやってしまっている範囲でのファシリテーション的なこと、を言語化する必要性に見舞われました。何に気をつけているか?とか、どんな態度で場に臨んでいるか?とか。その辺のことは、だいたい体験的に学んでいったらいいもんだ、って言いたくなるのをぐっとこらえて、伝えていかねばならぬようです。
 そういう立場に置かれるときって怖いもんです。言葉ってのは情報を確定させすぎてしまう気配があります。こういうときは、こうするのが正解だ!って思っていなくても、そう感じさせてしまう傾向を持っています。なので、なるべく矛盾したことを言ったり、結論を濁したりして、「よくわからない」状態をつくるんですが、それはそれで、消化不良になって、即効性が失われて、、、なんのために言語化したのやら、って感じに(笑)いやはや、自分もわかんないものを伝えるって難しいです。

 まぁ、そんな悩まんくても、普段気をつけてることとか、意識してることを伝えていけばいいんやない?、って言われそうですね。たぶん、そこに甘んじたら一生伝わらないんです。残念ながら。いわゆるノウハウになれる部分と、なれない部分があるとは感じていて、そこが意外に切り離しにくい。危険なのは、ざくっとノウハウだけ整理して「わかった」状態になることです。「わかった」「できた」と思った瞬間に、何かが遠のいていきます。実はその瞬間に、新しい問題が生まれているのに気付けなかったりするもんなんです。


 ぬーん (;´Д`)

 ちゃんと伝えられるように整理しようと思って書き始めた結果がこれですw さすがにこれじゃあ何もわからん。続編書くときはもうちょい具体的な話を書いてみようと思います m(_ _)m

(ってことで、次回に続くかもしれないし、続かないかもしれない)



m(_ _)m