meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

今が戦前である意識。戦争への危機感とか。

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 お昼休み。いつもと同じようにスーパーに行って、いつもと同じようにパンを買って食べた。手元にはスマートニュースがあって、何気なくチェックしている。トップページには「安部首相、中国名指しし安保法案の必要性強調」という言葉が出ていた。なんとなく、あ、これはすごくよくない状況が起きつつあるのではないかな、と思った。

 

それはもうわかっていたことだった

 敢えて明言しないまでも、そんなことはとっくに気がついているはずでしょう。危うくなっていそうなのはどこか。詳しいことは知らずとも、その雰囲気は感じられます。あっちの方がどうやらもやもやしているらしい、ぐらいのことです。
 けども、明言されるとさすがに「あああ」と脱力するというか、やっぱりそうだったんだよなというか、そんな気持ちになりました。情勢は徐々に変わりつつあり、均衡をどう保つかが問われているかもしれない。それぐらいのことは察しができてしまうものです。その推論があたっているかどうかは別にして。
 なんにせよ、名前があがった事実は事実。否定はできません。明言せざるを得ないような状況というには、ちょっとゾッとしてしまいます。

 

「戦前」かもという危機感

 数ヶ月前にfacebookで「今はもう次の戦争に向けての戦前に思えてならない」というコメントを見かけて、なんだか気になっていました。どこまでが戦後で、どこまでが戦前なのかはわかりません。けども、そうかもしれぬと納得してしまったわたしがいます。人類が戦争をやめられぬという悲観に立てば、いつの時代も戦前です。
 その可能性を見ないように、目をつむってしまえばいいのかもしれません。しかし、どうやらそんなこともできなさそうです。可能性があるから、安保法案があり、それに反対するデモやなんやかんやがあるのです。どちらも目指すところは悲劇の回避でしょう。なにも悪意があってやりあってるわけではありますまい。

 が、しかし。なぜだか、戦争を恐れ、不安になり、避けよう避けようとするほど近寄ってきているような、そんな不気味さも感じます。正直それが一番の脅威なのかもしれません。
 危機のイメージが危機を具現化してしまう。とはいえ、楽観できるわけでもなし。難しいところですな。そして、状況は動いていきます。

 

やるべきことを、ひとつひとつ。

 こういうときに思い出すのは、漫画『封神演義』のラストシーンだったりします。こんなときに漫画かよ、って話ですが(笑)。
 太公望は言うわけです。世界がどうなろうと知ったことではない、と。わたしたちがわたしたちなりの価値観で、ちゃんと過ごした世界を、次につないでいくだけだ、と。そんなようなことを言います。
 ある意味でとっても無責任な発言だけど、わたしはこの話をけっこう気に入っています。結果がどうなるかはわかんないんだけども、胸張ってちゃんとやることをやってきたんだぞ、と言えればそれでよし。だから、今、言うべきことがある人は言えばよいし、やるべきことがある人はやればよいし、それぞれの考え方で、「ちゃんと」を進めればよいと思うのです。
 無駄な行動などありませぬ。デモだろうが、なんだろうが、行動する人には行動するなりの必然性がある。そして、国会には国会の必然性がある。関わっている人たちの「ちゃんと」があれば、それでいいんじゃないだろうかと。

 こう書くと、何やらあきらめ感が半端じゃないんですけども、そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。やっぱりわたしは戦争は嫌ですし、今を戦前とは考えたくありません。ただ、ひとりで世界が動いているわけもないことをよく知っています。他人の愚かさも見ていますが、賢明さにも触れてきています。自分のキャラも、ちっとはわかっているつもりです。
 なので、わたしは「わたしがやるべきだろうな」と感じる方向を模索しながら進みます。胸を張れる気はしません。「まぁ、そういうことだ。あとは任せる」と言えるぐらいのことにはなる気がしています。それぐらいで勘弁してもらえるかどうかは、結果次第かもしれませんが。


 どうあるべきか、は考えるしかありません。思考を止めぬように、声を聞き、ときには意見を大きく変えたっていい。柔軟さをもって。どうあっても世界は続くようです。わたしたちが負うべきはそれぞれの小さな責任。そいつを取りにいきましょう。

 

 

m(_ _)m

 

 

封神演義 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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