meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

休日なのに、今日は一体何をやっていたんだろう。。。

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 気がつけば、もう17時である。休日の時間というのは、不可解に速く過ぎる。ついさっき(昼寝から)起きてきたところだというのに。何もしないままに日が暮れてゆく。特に1人で過ごす休日は光速で過ぎる。今日は一体、何をしたんだっけな。

●◯。。。...

 たしか、朝はそれなりに早く起きていた。6時半過ぎにはのそのそと起きて、朝ごはんをつくり、7時半ごろには食べ終えていたようである。そのあと、朝ごはんの片付けをする。洗濯をしたのは、片づけた後だったか。洗濯機に洗濯物をどばどばどばっと入れて、ピッピッとボタンを押す。ただ、前に干してあった洗濯物がまだかかったままだから、この間に取り入れてたたまなければならない。のろのろとハンガーを手に取り、ひとつひとつをそれなりにたたんでいく。
 ふぅ。ひと息つく。今日は晴れているから、外に洗濯物を干せるなぁ、とか思って裏庭に出ると、木がやたらめったら上に伸びていた。なんかこのままだと危ないんじゃないかという話は前から聞いていて、ああ、これは何とかしておかないとなぁ、などと呟きつつ、高枝切り鋏を取ってきてしまった。こうなるともう、切るしかない。
 想像以上に高く伸びた木、それも、なぜかしらんがすんごいトゲトゲの木である。肌に触ると普通に血が出る。めっちゃ危ない。この木の処理を後回しにしてしまったことを後悔する。枝は高すぎるので、根本の方の太いところから切らねばならぬ。何度か高枝切り鋏で挑戦したが、掴んで引き下ろすことはできても、切ることはできなかった。握力も限界。引き下ろしたところで、棘があるから手で持つこともできない。鋏の口を開ければ元の位置に戻ってしまう。こうなりゃ、鋸だ。
 外に洗濯物を干すはずが、鋸まで出すハメになった。当然のごとく、もっと下から枝を切り出さなければならない。鋸で届く範囲は高枝切り鋏のそれよりも限られている。細い枝と棘で鬱蒼としたエリアを切り分け、枝の根元にたどり着く。鋸をひく度に木の粉が顔に降ってくる。なかなかにハードな剪定になってしまった。

●◯。。。...

 高枝切り鋏と鋸を片づけたら、もうヘトヘトだった。鋸を使っていた右腕は、棘と虫にやられてぼこぼこになっていた。洗濯物はまだ干していない。とりあえず干すところまではやろう。折りたたんでいた洗濯物干しを引き出し、洗濯機から洗濯物を取り出し、ハンガーを用意して、改めて裏庭に出る。うごきは緩慢である。
 やっとこさ終えて部屋に落ち着く。掃除もしようかと思っていたが、あきらめた。ここまでで11時にはなっていただろう。ニコニコ動画でアニメを眺めていたら、間もなく睡魔に襲われて、気がついたら間もなく14時である。お昼ごはんも作らなければならない。袋ラーメンで適当にすませる。頭を起こして、お腹を落ち着かせ、部屋が雑然としはじめていたので少し片付ける。洗濯と一緒に肌掛け布団も干していたことを思い出し、陽に当てるためにひっくり返す。
 さて、やっと何をしようかなと思える状態になってきた。手元には『銀河英雄伝説』の6巻が転がりこんでくる。だいぶ後半まで読んでいて、あとちょっと、という誘惑に勝てず、終わりまで読んでしまう。おもしろい。読み終えて、16時。月曜から始まる編集学校の物語講座の方向へと気が向かい、ちゃんと申し込めてるんだろうなぁ、と過去のメールを漁り、ホームページで情報をチェックして、としていたらいつの間にやら17時に近くなっていた。
 何かできているようで、何もできていないような、そんな感覚にとらわれた。

●◯。。。...

 今日のハイライトは明らかに「枝切り」だったなぁ、と思い返す。だが。それにしても、だ。家事とは大変なものだ。真面目に炊事洗濯掃除をしていると日が暮れてしまう、と心底思う。みんな、よくこんなことを毎日やっているもんだなぁ、とか、思ってしまう。

 

m(_ _)m

 

 

安心ひきこもりライフ

安心ひきこもりライフ

 

 

 

ひとりでもできるカメラ遊びを考えてみた。「One Shutter」

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 2年ぐらい前には思いついていたけど、1回もやらずに、どこにも発表せずに、頭の片隅にあるらしいお蔵にずーっと寝かせていた「ひとりカメラ遊び」を書いておこうと思う。名付けて「One Shutter」。ちょっとカッコつけてみた。概要は以下の通りだから、やりたいなと思ったら暇つぶしにやってみればいいと思う。

One Shutter のやり方。

 やり方はとってもシンプルである。まずは一眼レフなり、コンパクトデジカメなり、スマホなり、何でもいいからカメラを用意する。せっかくなので、気合いを入れた本気モードのカメラで遊ぶのがいいと思う。
 用意ができたら、写真を撮る。ただし、ここでとっても大切なルールが立ちはだかる。その日、1日で切れるシャッターは1回だけとするのだ。1回しかシャッターボタンを押せない。つまり、1枚しか写真は撮っちゃダメである。失敗したからと言って、撮り直しはできない。何枚か撮りながら感度とか色温度とかを調整するのもナシ。この際、RAWで撮るのもやめておこう。緊張感がないとおもしろうない。さぁ、こうなったら何を撮るだろうか?

 撮影が終わったならば、次はシェアである。これも One Shutter という遊びのルールと考えて欲しい。撮った写真は必ずシェアされねばならない。facebooktwitterinstagramなどなどのSNSに無加工でアップする。取り繕わずにどーんと撮って出し、ということである。気合いの一枚をフィルターなんかで濁らせちゃ勿体ない。当然のことながら、アップするSNSはより人目につくSNSの方がいい。マイナーなSNSにあげても、あんまりおもしろくなかろう。
 アップした写真には、コメントも添えることにする。言い訳を中心として、感想とか、意図とか。何を被写体にしようとして、どんな瞬間を狙って、もしくは偶然で、撮ったのか。それがわかると原因と結果のつながりが見えるもんだと思う。
 でもって、ハッシュタグなんかをつけると更に楽しくなるかもしれない。「#OneShutter」とかでいいと思う。もしかして、他にこの遊びをしてる人がいたら、写真を覗きにいくことができる。

 失敗しても全然かまわない。むしろ、その方が楽しめる気がする。


 以上の要点を整理してみると、

1)シャッターは1回だけ
2)撮った写真は無加工でSNSにアップ
3)感想などのコメントとハッシュタグをつける

 ということになる。やろうと思えば明日にだってできる。今日写真を撮ってなければ、今日でもできる。やってみたい人は暇なときにでも、どうぞ。

なぜに One Shutter ?

 シャッターというのはそれ自体が魅力的なもので、ついつい何度もボタンを押してしまうものである。特に、わたしみたいにシャッター音とか、ミラーショックとかにドキドキしてしまう輩は、メッタヤタラと撮りまくって、えへへと写欲を満たしてしまう。そうして量産される写真の中には、おやっと思うものも出てくるのであるが、やはり、そんな撮り方一辺倒ではいけないという気持ちもあったのだ。
 要は、今のシャッターは軽すぎるのだ。尻軽じゃいけぬこともある。フィルムの時代は、1枚々々にお金がかかった。その一瞬々々が勝負だったに違いない。
 そんなことを考えていたときに思いついたのがこの遊びだった。デジタル時代の特権をかなぐり捨てると、どんな感覚になるのかも知りたかった。そのくせ、まだ自分でやってみたことがないということは、わたしはシャッターの呪縛に、誘惑に、回数制限のない自由さに、縛り付けられたままだということを意味している。うーむ。
 昔、撮り鉄さんから first shutter という言葉を聞いた。新しく買ったカメラで撮る、最初の1枚のことらしい。恥ずかしながら、テアタリシダイ派のわたしはそんなことを考えたこともなかった。買ったらスグ、攝り始めていた。撮った分だけ、買った甲斐があると信じて疑わなかった。だから、first shutter の気概には、憧れを感じたのだった。

 さて、ここまで書いたのだから、わたしも暇な日を見つけてやってみようという気になるかもしれない。そんでも面倒くさがってやらないのかもしれない。。。(;・∀・)

 

m(_ _)m

 

 

昼の学校 夜の学校+ (平凡社ライブラリー)

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