meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

ニシアワツアー夏 2011 (余白)

 今にしても、余白の多いプログラムだったと思う。なんせ幹事が僕だから仕方がないと言えば、仕方がない。2日目の午前は完全にフリータイムだった。こんなに田舎で、連れられて行って2日目で、一体何ができるというのだろう? よくやったもんだ。

 
 もうはなっから「 普通のツアーではない 」ってことを伝え続けていたように思う。プログラムはあるけど、余白も多い。だから、それぞれが思うように動いて、思うように楽しまなければ、満足度は低くなってしまう。幹事の責任放棄甚だしい。持ち物やプログラムの確認は、参加者側から聞かれてやっと答えるような、そんな頼りなさであった。それでよかったと、僕自身は思う。
 
 余白は、人が入り込むスペース。自分で創り上げるスペースだろう。

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【 朝もゆっくり目。でも、朝食の時間があるから、ちゃんと起こします 】

 フリータイムに入ったときは、やっぱり、みんな漂っていた。何をしていいやらわからず、提示されたメニューはどれも魅力的で選べず。西粟倉常連は例外だったけど。@manaminseijin は、地元のおっちゃんの木工ワークショップに、子供に混ざってなぜか参加してたしw
 
 正直「 あー、このメンバーでもこうなっちゃうんだ 」と思った。なんにもない田舎で、どう過ごしていいかわからないのだ。
 
 ふわふわとした時間が流れて、さすがにちょっと焦った。ただ、あちこち見回っていると、少しずつ漂着していくように、自分の位置を持ちはじめていってたようだった。

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【 自然発生的に、ちょこっと語らう場ができたりする 】
 
 最終的には @ponsaka 頼りで、多くは原生林へ。その他は散歩に行ったり、しゃべっていたり。僕はというと、ゆっくり話した後は、独りで川に降りて楽しんでいたw
 
 フリータイムにするには、もっと工夫が必要だったのだろうか?とも思う。けれど、あのときに「 じゃあ、川に行こう! 」なんて声をかけたくもなかった。おそらく、みんなが「 なびく 」からだ。せっかくのフリータイムにみんな一緒なんて、気味が悪い、ってのは、僕の個人的な趣味ですねwww
 
 
 戸惑いを起こしてしまった面もあれども、フリータイムは設けていてよかったと思う。というか、その時間を作らざるを得なかったのかもしれない。今回のツアーに関して、僕は参加者と西粟倉との関係を提示できなかったからだ。だから、ぐっと突き放すしかなかった。まさしく責任放棄だw あとは、任したよ、と。各自で創ってね、と。

 最後の振り返りで、「 プログラムが全くないツアーがあってもいいと思う 」って意見も出たのだから、まぁまぁ、フリータイムも好印象で受け入れられたんではなかろうか? 何もせずに、ぶん投げ過ぎなのは、いつも通り。この設計と放棄のバランスが、職人芸なんだろうなぁ。みんなが生産的消費者となる余白の取り方。これがなかなか真似できないところです。( って、誰の真似してるのかも、わかんないけどw )


 

ものがたりの余白 エンデが最後に話したこと (岩波現代文庫)

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