免許証の更新に行ってきた。なんとか視力検査をくぐり抜け、毎度おなじみの講習である。いちおう優良運転者らしく、15分の講義と15分のビデオを見る。何というか、交通事故の重大さに見合わない講習内容であると、思う。
ビデオの初っ端、ありきたりな(!?)交通事故シーンで、被害者に駆け寄った加害者の言葉がおもしろかった。「 子どもは?家族は?ぼくは被害者にどれだけ補償したらいいんだろ~~~ 」なんとまぁ、自分目線なことか。。。(;・∀・) もうちょっと相手の心配してやろうぜ。
こういうビデオを見るたびに思うのが、「 なんでこの国はこんなに簡単に運転を許してしまうのだろうか? 」ってことだ。日本人の運転免許所持率は、、、おそらく7割は下回らないんじゃなかろうか? そのくせ、起こしている被害はときに重大で、ときにはさらに悲惨だろう。もっと厳しくしてしまえばいい。ちゃんと運転できない奴に( 僕自身、運転がうまいとは言えない )免許を持たせておくこと自体が危険だ。なのに、身分証明書と言えば、免許証ぐらいの勢いで「 え?持ってないの? 」的な扱いを受けてしまう。
なんでまた、こんなに危険な許可を、こんなに簡単にしてるのか?
こう書くと「 自動車交通が経済に与える影響ってものがあるだろう 」と反論されそうだな。「 田舎だと車なしでは生活できねぇんだよ! 」って声も聞こえてくるだろう。つまりは、経済面と生活面だ。後者については、確かにそうだろう。これからさらなる過疎化/地域間競争とコンパクトシティ化が進んでいかない限り、さすがに田舎に自動車なしでは住めない。ただ、前者についてはいかがなものか?モータリゼーションが経済を活性化させたことは何となくわかる。但し、それが今/現在も続いているのかと問われると、実感値としてはハテナをつけたくはなる。
誰か、みんなが自動車に乗ることによって経済がどれぐらい活性化していて、それが交通事故や交通事故防止活動、管理費などのコストを上回るってことを証明してくれいヽ(´ー`)ノ 正直、都市部に集住してしまえば「 イマドキ車買ったの~? 自動車なんて古臭いよね~ 」みたいに言われる時代がくるんじゃないだろうか?
もう少し穿った見方をしてしまえば、国が免許を与えないと自動車産業が衰退してしまうっていう話もあるかもしれない。トヨタのお膝元に住みながら、こんなことを言ってしまうのはナンだが、まぁ、おそらくその辺の事情もあるんだろう。ニーズが産業をつくり出していたのに、1周まわって産業を支えるためにニーズを産み出してしまうって仕組みは、珍しくない。もはや、こんがらがって、何が何やら、何がなんやら。企業が何のために動いているのかわかんない時代なのだ。
正直、理念を見失ったり、変化に対応できなかった組織は、さっさと解散してしまえばいい、と僕は思う。
話を戻して。もうひとつ気になったことがあった。
聴覚障害者も免許を取れることになったらしい、ってことを今回の講習で初めて知った。健常者たる私の立場からの意見で申し訳はないが、そこは「 何でも自立さればいいってもんじゃない 」と感じざるを得なかった。「 聴覚障害者マークが貼ってある車にはクラクションを鳴らしても通じないことがありますので、注意しましょう 」って言われても。。。せめて、クラクション鳴らしたら、電波が飛んで、聴覚障害の方の運転席に危険を知らせるマークが点滅される、ぐらいのシステムはつくろうよ。。。
車に乗れないならば、誰かに運転してもらえばいい。そこに助け合いが生まれたり、仕事が生まれたり、つながりが生まれたりするもんじゃあないのだろうか? 現代において、自動車に乗れる人を増やして、車の販売台数を伸ばすか、それとも運転のプロを増やして、仕事と雇用を産み出していくか、って考えたら、どうなのだろうか? いろいろ問題はあるんだろうけども、後者の方が交通事故っていう悲劇は少なくなるんじゃないかな。
もしくは、事故が起こらないように車の設計を変えることだな。
とか、言いつつ、私自身が車を運転しないか、と言えば、そうもいかないんだけどねぇ(;・∀・)
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