本日付けで30代に突入いたしました。kimuraでございます。30、無職、独身です。魔法使いにはなれませんでしたので、ご安心ください。(なにをだ?)ちなみに、20代最後はプロントで独り食べた明太子パスタで、30歳は夜行バスの中で迎えました。いやいや、まぁまぁ。30です。三十路です。よくもまぁ、30年も生きられたものだなと感じます。
最近なにをやっているかというと、専ら移住活動をしつつ編集学校の師範代で悪戦苦闘しております。あ、そうそう。たまに、そのなんたら学校ってのは仕事なの?と聞かれますけども、そんなことはありません。仕事につながるものでもない、というと言い過ぎかな。とはいえ、稼ぎにはなりませんし、稼ごうともしていません。単なる趣味です。
移住の方は、とりあえず目的地を島根に決めて、こちらも悪戦苦闘しております。名古屋にいると情報の入りも少なく、かといって、それほど気安く通える距離でもないので、うーんうーんと唸る毎日です。今日やっとご縁を得て、何かが見えてきたらいいなというところまでまいりました。なぜ広島で行われたイベントに名古屋在住の私がいたのかは大いに謎だったと思われます(笑)。とりあえず、一日中張り付いてみました。
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さて、そんなこんなしているうちに、おそらく見える世界が変わってくるのだろうなと感じています。今の柱は移住と編集の2つです。そのどちらもが「そろそろ何かが変わってくるよ」と囁いている気がします。視野が広がるのか、狭まるのか、ズレるのか、入れ替わるのか。その辺はわかりません。ただ、この無我夢中感、悪あがきの中で、何か掴めてコトがはじまれば、いつの間にかアチラの世界に行ってしまうような、今まで見えてもいなかった対岸に着いてしまえるような、そんな感覚です。
普通に怖いし不安満載ですけども、まぁ、なんとかなるでしょう。自分がどうなっていくのか、他人ごとのように楽しみにしていたりもしていて、こういう思考は30になっても変わらないようですね。向こう見ずというか、楽観的というか、自分ごとにしないスルー力というか。こんな人間でも居場所や役割があるのであれば、この社会はとってもいいものなのでしょう。
えっと、居場所はなんとかまだあるし、役割も師範代をいただいているからわりとどっちもOKですな。いい社会なんです、今の日本でも。
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せっかくの節目です。そんないい社会ってのを自分がどう考えているのかをちょっと書いてみます。おそらく言葉足らず、考え足らずですので、その点はご容赦くださいませ。m(_ _)m
私は今の経済を捨てていいとは思っていません。ただ、ガタが来ているとは思っています。どうガタが来ているかというと、設計にガタが来ている。あまり詳しく調べられていないのですが、たぶん、渋沢栄一が日本にビジネスを広めていったときには、人徳がある人が上にいくように設計されていた。経済的な成功が人間的な成長と合致していたのだろうと、わたしは思いたいのです。なので、成功は成長だったし、ビジネスはある意味で教育装置だった。いつからか、そんな仕組みだったんだろうなぁ、と考えていました。
そいつがかなり壊れてきている。つまり、人間力なんて測れないからなんとなーく市場の中でうまくバランスをとるように促されて、結局お金稼げる人は人間的にいい人になっていく仕組みが成り立たなくなってきた。ここにはどこかナショナリズムやコミュニティの崩壊が関わっていそうな気がしています。共同体を離れて、個になった。だから単なる競争になってしまった。ともいえるのではないでしょうか。
とはいえ、あんまり人と人がくっついても腐敗が起こってしまうので、なんとも言えない部分もあります。これも最終的にはバランスであって、釣り合わせていかなければならない。では、どうするか。市場原理に任せるか。いやいや、市場は経済世界でのバランスをとるにはいい方法だったかもしれませんが、この局面ではあまり効果をなさないように見える。では何でバランスをとっていくか。その方法のひとつに思想的な自己点検をするような仕組みがあった方がいいように思えてきています。オルタナティブではなくて、むしろ、二大政党制。資本主義に対抗する新たな主義が、資本主義に匹敵する力をもって共存する。そんなイメージです。
拮抗を目指すなら三大勢力の方がいい気がするけども、まずはそこまで持っていくことは無理でしょう。100年ぐらいかかりそうです。それに、敵対するのではなくて共存するというのも大きなポイントです。お互いに折り合いをつけてのほほんとしていられるような期間をある程度つくっていけるのではないかな、という気はしています。(基本的にずっと継続する体制ってのはありません。永続する制度なんて聞いたことがない。ただ、もしかしたら「方法」は継続できるものなのかもしれません。いや、できて積み重ねかな。。。。)
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いやはや、話が壮大になってきました。勢いに任せて書いているので、自分でも半分以上理解不能です。でも、続けてみます。
思想が共存するということはどちらが正しいわけでもないと言い切ることです。敢えて答えを見つけない。これが大事です。そうなると、常に人は悩み続けなければなりません。それを引き受けて、悩み続けられるかどうか。全員が悩まなくてもいいけど、2割ぐらいは悩んでいて欲しい。やっていることが正しいかどうかの確信は持てないけども、それでもやっていくという姿勢を持っていてほしいな、と思っています。それがないとあんまり謙虚になれないんですよね。
この結論だと結局自己点検を人に押し付けてしまって仕組みになってないじゃないかとツッコまれそうです。でも、まず手をつけるべきはそこだと考えています。それは、何というかバランスをとっていくための思想市場のようなものがあって、そこに参加していく人を増やすイメージです。思想市場ってなんだって話ですけどね。。。
でもでも、基本的に、政治だって経済だって、バランスをとるための仕組みなんです。政治は投票と議論でバランスをとって、経済は需要と供給でバランスをとる。バランスブレイカーが出るとかバランスブレイカーが勝つというのは、そもそも変な話なのです。
そうやって成り立ってきたなら、今度は思想的なバランスの取り方があっていい。ここでヒントになりそうなのが、対話だったりダイアログってやつでしょう。ツールとしてはソーシャルネットワークだったりします。ディスカッションではない方向性のコミュニケーション。相手の思考モデルを追いかけると同時に自分の思考モデルを立ち上げていく、もともとコミュニケーションてそうだったよね、とでも言うべき方法で、新たに思想とか価値観とか生きる方向とかのバランスをとっていく。そんな感じです。
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移住して何するかっていうと、おそらくこういったことのモデルづくりでしょう。もちろん、個人的な趣味嗜好もあるんですけど。大都市という市場から離れたところで、ある程度の独立性があるところ。そこでもしかしたら上に書いてきたような感触があるんじゃないかなぁ、などと淡く期待しながらのんのんとやってみる。30代はそんな時代になっていきそうだし、そうならないかもしれません。
それにしても勢いに任せてめちゃくちゃなことを書きましたね。(^_^;) なんじゃこりゃ。わけがわかりません。単純に言えば、短絡的な思考に陥らずに謙虚に考えられる良識をもった人間を増やしたい、ってことです。たぶんそうです。そんでもって、これはあれですね。自ら黒歴史をつくりにいってそれを晒すという自虐ネタですね。うん、そうに違いない。そんな感じでえいやっと挙げて、ひとまず見ないふりをします。
あ〜、おっきな話をしてみた。笑
m(_ _)m