meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

流し、流され、新年を迎える。【2017年】

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 新年、あけましておめでとうございます。今までは帰省するとネットのつながらない生活だったのですが、今年から無事、ネット環境が確保されました。au回線からdocomo回線に乗り換えたお陰です。まだ使えるiphone6を諦めて、新しい機種を買った甲斐がありました。速くはないけど、つながるだけでありがたし。いい時代になったもんです(←すんごい時代遅れなこと書いてますがw)。
 さて、2017年です。ニューイヤー駅伝では旭化成が18年ぶりだかの優勝を勝ち取りました。年末から番組宣伝がやたらに多いようなテレビをわんさか浴びて、寝正月へと突入しております。食べて、寝て、テレビ見て、食べて、寝る。なんか理想的な生活リズムのような、そうでないような状態になりました。年末年始の予定がこんなに少ないのも、久しぶりかもしれません。休みあけのリハビリには苦労しそうです。(;・∀・)

●◯。。。...

 それにしても。「やらなければならないこと」があるときに限って、こういう怠けが活躍するのはなぜなのでしょうか。本当なら寝正月なんて呑気なことを言ってられる場合じゃなく、こんな駄文をカタカタ打ってる暇があるなら資料を読み込まなければ、って状況なのでした。もういくつ寝ると、最後のお題の締め切りです(笑)。この秋からはじまっていた物語講座のラスボス、1万2千字が待っています。あれ、なんかこの文章を打っている手に冷や汗が滲んできました。いやぁ、まぁ、焦ってどうにかなるものでもないとか、うん、はい、言い訳ですけどね。はい、手を動かします。
 ちなみに、ラスボスは歴史小説もの?です。ここ1ヶ月程度で、わたしの中の司馬遼太郎への尊敬の念は、まさしくうなぎのぼりです。過去の人物を追いかけること、その世界観を手に入れることが、こんなにも大変だったのかと、今更ながらに痛感しています。
 あのとき、あの場所で、誰と誰がどう関係して、どんな物語が紡がれていったのか、なんてことを見つけ出すのは至難です。どれだけ資料をあさっても、出てこないものは出てこない。出てきたとしても、英語だったり、フランス語とか、中国語とかだったりするんですから、素人にとってはないも同じです。では、狙っているものから範囲を広げて資料を集めようとすると、今度は大量のデータがヒットしてしまう。それも、おおよそが「使えないデータ」です。Google先生がこんなに非力になることもあるのかと、思い知りました。掘り出されていない情報は、まだまだまだまだ眠っているものなのでしょう。
 ただ、こうやって巨大な未知を相手にもがいていると、たまに掘り出し物を見つけられたりもします。おお、ここはこうなっていたのか!?という発見です。お題がなければ、このような見方もできなかったし、こんな探検を味わうこともなかった。興味があるかないかなんて、意外と大したもんじゃない。それよりも「◯◯について調べる」機会をつくれるかどうかなのだろうな、と感じます。今回みたいに物語を書くとなると、漫然と読むだけでは全く足らない。丁寧に集めるし、詳細に読む。そして、その方が断然おもしろくて楽しいものなのです。体力はいるけど。

●◯。。。...

 自発性とか、内発力とか、モチベーションとか、夢とか、希望とか。こうなってくると、やたらに人の内部に答えがあるとされがちな世の中には、やっぱりジャブぐらいは打っておきたくなってしまいます。それらを否定はしないけど、けどけどけど。目の前に差し出されたものに反応すること、対処すること、そうやって過ごしていくことの大切さも噛んでいかないと、旨味は出てこないのではないでしょうか。他発性も、外発力も、持っておけばいいじゃない。

 そんなこんなで、謹賀新年。今年も読んだり、撮ったり、書いたりを繰り返していきます。どうぞよろしくお願いいたします。

 

m(_ _)m

 

 

ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫)

ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫)

 

 

ぼくらの夜空のムコウ。

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 年末。帰省の途中に名古屋に寄って、もちさん夫妻の家に厄介になった(もち夫妻、ありがとう!)。ささやかに飲み会みたいなものを企画して、7人ぐらいがこたつを囲んで、鍋とか干物とかスイーツをつついて楽しんだ。この秋に引っ越したというもち夫妻の家はすごく広くて、みんなで実家みたいな雰囲気だと話す。築年数は40年ぐらいらしい。
 「一緒に住んでたのが6年ぐらい前やね」という言葉に不意をつかれた。なんと、もうそんなに経つのか。もちさんと一緒に、金山でルームシェアをしはじめた頃。あの頃は、まだ名古屋にシェアハウスが少なくて、東京でちょっとずつ「シェアだよね」的な雰囲気ができはじめていて、ふとしたきっかけと勢いと、もちさんの類まれなる行動力で、あれよあれよという間に3LDKに転がり込むことになったのだった。

●◯。。。...

 SMAP騒動もあって「夜空のムコウ」を聴きたくなった。「あの頃の未来に、僕らは立っているのかな」という歌詞が、皮肉であったし、キーンと響いてきた。あの頃って、どんな未来を描いていたのだろうか。いや、そんな未来なんて描いてもなかったし、そもそもぼくに未来があるなんて思えなかったような気がする。
 名古屋にいたころに「やったこと」はそれなりにある。勉強会だとか、ボランティアにはじまり、NPOに流れ着いてイベントをやり、ソーシャルファイナンスを学ぼうとして、マイプロをし、地域に通った。その動きは、人から見れば「活動的」と言われるぐらいのものだったと思う。だけど、ぼくにとってそれは「あがき」みたいなもので、大きな流れにどうやったら棹をさせるか、ちょっとぐらい流れを変えられるか、届かない声が少しは耳に入るか、というような試みでしかなかった。当時から、そんなに変革させられるとは考えていなかったし、「社会を変える」なんて強い意志は持っていなかったのだ。
 だから、明るい未来があるなんて到底思えていなかったのかもと、思う。国は財政破綻寸前だった。地域は衰退の片道切符をギュッと握りしめているように見えた。その下り坂で、どのくらい楽しく転がっていけるか、が問題だった。今はあっても、未来は見えなかった。見えなかったから、ただ単に、もう少し生きて知りたいと思った。20年後、この「あがき」がどうなっているのか。その結果に興味を持つという、ひねくれた恰好で、その日その日を過ごしていたのだった。ある意味で、どういう未来でもいいやと、そういう覚悟だけはしていたのだ。

●◯。。。...

 そうやって、目の前に出てきたことを処理していたら6年が経っていた。年始にはSMAPが解散するとかいうニュースが流れ、微妙で、後味の悪い雰囲気を残して、この年末にSMAPは解散するらしい。ぼくは引っ越して、ひとまず丁寧な日常のペースを得たように思う。もちさんも郊外に引っ越して、広い庭を耕しはじめている。オバマが任期を迎え、トランプが次期大統領に選ばれた。イギリスはEUを脱退すると決めたまま、ちょっとうじうじしているようだ。電通は来年度から鬼十則を社員手帳に載せないと決めた。マイナス金利が導入された。
 どうやら、世の中は大きく動いている。ルームシェアをはじめたときに考えていたような、財政破綻は起こっていない。寄付が一般的にもなっていない。若者の投票率が上がったというニュースも聞かない。手渡されるお金が、どういう意味を持つものなのかもわかっておらず、東日本大震災の衝撃はライフスタイルの転換にまで届かなかった気配をみせている。アベノミクスで延命された経済は、東京オリンピックに向けて加速するのだろう。年金なんぞ貰えないと、もう何年も前から知っていて、それでも受給が70歳以上になるかもという記事に、なんだか動揺してしまう自分もいる。何が虚偽で、何が本当のことかわからなくなる。つまりは自給自足かとか、言いたくもなってしまう。

 そして、夜空のムコウには、もう明日が待っているらしい。日々はただ巡るのだ。未来は見えていない。ぼくはあらん限りの力でもって、自分の良心を守らなくてはならなくなるだろう。そんな予感は持っている。そんでもって、言葉の端々から落ちこぼれていくコレを掴まえようとする「あがき」は、ずっと続けていくのだろう。

 

m(_ _)m

 

 

夜空ノムコウ

夜空ノムコウ