meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

【東北関東大震災】どう対応して、何を感じていたのかの記録



 年度をまたぐ。先月、先年度の話になってしまう。そんなものは
 単なる尺度でしかないのはわかっていながら、なにか落ちていっ
 てしまうのではないかとも思う。1次データとして、震災時の自
 分の経験を振り返っておこう、まとめておこう。

 あのとき、何が起こり、何を感じて、何をしたのか。


【 3月11日 地震発生時 】

 事務所で揺れを感じる。長い揺れに「 地震だよね? 」とスタ
 ッフと会話。「 これ、机の下、もぐる? 」「 外に出るなら、
 グラウンドの方がいいん じゃない? 」と、妙に悠長な危機感で
 そわそわと対応する。廃校事務所の中庭には、各団体のスタッフ
 が出てきていた。

 どうやら大きな地震が東北で起こったのだとわかってきたのは、
 少し落ち着いてきてから。事務所に戻り、twitterにログインして
 情報を集め始める。震度7? まだ日常とは切り離されていない。
 どっかの博物館の窓が割れたとか、そんな画像が流れてきてはい
 るのものの、そんなに大きな被害の気配はなかった。山形の兄と
 山形からの帰途にあった母の安否は確認する。たしかメールもす
 ぐ返ってきた。

 twitterを眺めつつ、作業に戻る。と、どうもtwitterの流れが
 早い。まわりの人は日常の風景に戻りつつあるが、そうもいかな
 い雰囲気を感じはじめる。これはおかしい。えいやっ!と職場な
 がらNHKユーストリームを開いたのが、多分1時間後ぐらい。
 飛び込んできたのは、津波の映像だった。事務所一時騒然。映画
 を見ているような気分は、9・11のときに似ていた。

 ただ、そのまま業務には戻る。
 東京のtweetが騒がしく、危機的状況を少しづつ理解しはじめる。
 地震時に有用だと思った情報は積極的にRTをしていた。

 夕方頃に東京でのイベント中止の知らせが来る。そこまでの影響
 ではないやろ~、と、感じていた。東京出張が消えたことに対し
 ての残念さも含みつつ。twitterを眺めていたわたしでそうだっ
 たのだから、周りの人はさらに「 普通 」だったろう。


【 帰宅する。道すがら、本屋に寄る 】

 出張はなくなったが、東京での予定がなくなったわけではない。
 長旅に備えて、本屋に行く。twiteerの更新は欠かさない。そわ
 そわしつつ、東京の様子を窺う。このときには、東京で地下鉄が
 止まり、帰宅困難な状況になっていることを知っていた。名駅
 新幹線が動かず大混雑している。もし、帰れずに困っている友達
 がいたら泊めてあげよう、と決める。

 三省堂では、何も買わなかったように思う。わりと長い時間さま
 よい、手にとった本をパラパラめくり、棚に戻す。仕事の関係の
 飲み会の連絡が入ったが、どうにも行く気になれず、そのまま帰
 宅。このときから「 人災を防ごう! 」系のtweetをRTして
 いた。特に女性を狙った犯罪は、「 大いにあり得る 」と感じ
 RTを続けた。RTの多さが気にはなっていたので、瞬間の判断
 でRTすることを控えていた。


【 帰宅後、家では鍋会が行われていた 】

 帰ったら鍋が行われていた。みんな至って平然とした様子に違和
 感を禁じ得ない。ワンセグでテレビを見ようと頑張っていたよう
 ではあったが。。。スグにニコニコ動画をひらいてNHKを見る。
 異常な光景にほぼ釘付けになりながら、twitterを追い続ける。
 ほとんど鍋会の会話には入らない。

 頭の中はtwitterやテレビがつくる場の中にあって、体は家にい
 て、なんだか日常を過ごしている人たちに囲まれている乖離を味
 わう。もはや、この状況に関心を示さないことが信じられない気
 持ちになるが、「 あっちの世界 」の方がリアルな気がして、
 一度会話にまじる。が、長く続かず。というか、そこでの会話に
 興味が持てず。

 さすがに福島の友達からメールが返ってこないのが気になりはじ
 める。twitter上で共通の友人と安否を確認できないことを確認。
 「 祈るしかない 」という結論に達する。気仙沼の火事の様子。
 大災害が対岸ではあるものの、つながっていることを思い知る。
 既に故郷を離れ、大学を出ている。東北に旅をしたことも数度あ
 る。twitterなどでつながっている人がいる。編集学校で同じ教
 室の人が仙台だ。阪神大震災でも、9・11でもない体験をして
 いることを痛烈に認識する。

 友達の「 他人事 」感に吐き気をもよおす。
 無事を祈りつつ、祈るしかないとあきらめて眠りにつく。


【 翌日、東京には行けず。 】

 「 やれること 」を探して、JustGivingを通じて募金する。募
 金先選定理由は、momoのきむが募金してたからw 今、考えると判
 断を人任せにしていたのだが、これほど寄付先について信頼のでき
 る人も少ないだろう、と思った。ブログを書き、献血に行こうとす
 るが、血も在庫がたくさんあって困っているという情報を得て、そ
 うもあらん、と納得。控える。

 そうこうしているうちに節電の呼びかけがまわってくる。今日も鍋
 だったので、誰かのキャンドルナイト案に賛同する。中部電力の節
 電は関係ないと知ったが、まぁ、それはさて置いてキャンドルナイ
 トの準備をすすめる。僕にとって「 鍋会 」に「 震災 」をつ
 なげられることの方が重要だった気がする。

 キャンドルを買いに行く。外は至って平穏、日常の風景が広がる。
 イオンなんて全く混乱がない。募金箱が残りカスのようにこびりつ
 いている。外に出て、メディアを離れるのも大切だなぁ、と本当に
 思う。編集学校の卒門式典「 感門之盟 」の延期が決まり、週末
 の東京行きが完全になくなる。

 頭はあっちに行ったり、こっちに来たりしながら鍋会を過ごす。
 どうだったか覚えてない。多分、NHKはずっと見ていただろう。
 その日は午前4時ぐらいまで、話し込む。震災以外の話題で話せた
 のは、とてもありがたかったと、今、振り返って思う。


【 その後1週間。 みんなが動き始める 】

 午前まで話し込んで、寝て、起きたら、体にガタがきていた。頭痛を
 抱えながら、投票だけ済ませる。精神がはりつめていたことは確か。
 帰宅して、そのまま寝る。

 このぐらいからmomoなどで「 アクションしよう! 」という機運が
 高まる。月曜には、集まれる人でミーティングどう?という話が出る
 が、断る。この、みんなが大きな雪崩となって、募金やチャリティに
 走る感じを見つつ、「 震災なのに行動しないの? 」を書く。行動
 しない人をきちんと肯定すること、そして、行動しない人もいるんだ、
 ということを伝えたかった。中に入る人もいれば、外にいる人もいる。
 募金しない人を認めることが、僕の役だろうと、感じていた。

 その後、SFCnagoyaで集まり、トーマスが見事な走りっぷりを見せて、
 巻き込まれるがままに巻き込まれる。みんなの「 やらなきゃ 」感
 をひたすら浴びて、浴び流す。

 原発やらの不安がありつつ、日常を必死で取り戻そうとする1週間。
 Googleニュースは常時チェック。そして、原発関係の報道が妙に隠
 されているので、twitterはその部分を埋める手段に変わっていた。

 精神的な疲弊解決方法として、ちょうど行きたかったのもあって関西
 へ旅立つ。震災から逃れる、というよりも、震災救援活動から逃れる
 ため、といった方が感覚には近かった。





 以上、ざーっと経験のメモ書き。書き漏れも多いが、とにもかくにも
 書き留めておくことの方が大切だと感じている。今回の震災は、大き
 な機会となるだろうから、経験はできる限りホールドしておきたい。

 そして、オープンな情報にしておきたい。