理由なく友達と遊んでいたのは、いつごろだったろうか?
そんなことを思う。誰かと会うとき、呼ぶとき、どこかに行くとき。
最近では必ず、そこに「 イベント 」であったり、「 ミーティン
グ 」であったり、何らかのコトを起こしている気がしている。その
コトが理由になって、だから、会ったり、話したりする。なんとなく
電話なぞしたらば「 こいつ、俺に気があるんじゃないか。。。 」
とか思われかねないのが、最近の事情ではないかとさえ思う。
どんなに仲が良くても、理由がなければ会わないし、
会いたいがためにコトを企画して、理由をつくる。
コトを起こさないと会えないようなつながりが、本当にコミュニティ
と呼べるものなのかも、何か不思議に思えてくる。ちなみに、私の場
合、気兼ねなく、理由なく、声をかけられるのは、彼女だけかもなぁ。
つまりは、今いない (´・ω・`) ま、いいんだけどw
学校とか、会社とか、ある組織だった何かも会う理由を提供してくれ
る。会社を辞めたりすると、それ以降のつながりを保つために、相当
自発的な力を使うことになる。今まである種の「 枠 」があって、
外部からの要請があったのに、そいつがなくなる。ネットワークは腐
敗して土壌になるっていうのは、解散や離別が生む淋しさや孤独感が
個々の動きに大きく寄与するからではなかろうか。
僕は、だからこそ、解散っていいな、と思った。
終わりがあるっていいな、と思っている。
コトを起こさなければ、理由なく、理由なくては、遊べない。そんな
一面もありつつ、何かを仕掛けていく。お誘いを投げる瞬間はとても
バルネラブルなんじゃないかと思う。全ての決定権は、相手にあって、
私は結果待ち、評価待ちの状態になる。たまにはそんなことせずに、
理由なく遊んでみたいもんだが、ちょっと考えてみると、意外にこの
「 理由なく 」って状況は難しいw