meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

京都にて、なべさんを送る。

 なべさんがポーランドに留学するっていうんで、飛ぶ前に会ってきた。京都に来るのは秋以来。半年弱ぶ
 りかな。出町柳を降りたら京都市長選挙のビラ配りに会って驚いた。現職の門川市長が初当選したときに
 選挙活動の手伝いみたいなことをしていたのだ。あれから4年。もうそんなに経つのか。。。

 なべさんと会ったのも4年前。立命館の集中講義に行ったときだ。

 あの頃、僕は地理学教室ってとこの4回生だった。何かしっくりこなくて、大学にはほとんど行かず、迫
 る卒論にもそっぽを向いて過ごしていた。そんな時期になぜか立命館のGIS集中講義に単身乗り込むこ
 とになっていたのだ。GISってのは、訳すると地理学情報システム。パソコンを使って地図をつくった
 り、分析したりするソフトのことだ。うちの教室にはGISを教える先生がいなくて、自然、GIS授業
 は外部の先生が来る。そこからのつながりが、変なご縁となって、僕を他大学の集中講義に放りこんでく
 れたのだった。

 後で知ったわけだが、集中講義は留学生向けだった。先生はアメリカ人だった。講義は英語だったし、ワ
 ークもほぼ英語だったから、もう何がなんだかわかんない。まぁ、でもそういう場所って、何というか、
 被害者の会的なコミュニティが産まれるもんでもあって、「 大変だったよね 」な連帯感で日本人同士
 が仲良くなる。その中にいたのが当時立命館の院生だったなべさんだ。「 いやぁ、kimura君のチームは
 難易度高かったよ 」って慰めてくれていた気がする。確かに、あのマレーシア人は激しかった(;・∀・)

 そんなこんなで集中講義が終わってからも、たまに連絡をとるようになった。社会人になって一旦疎遠に
 なりかけたところを救ってくれたのはmixiである。Facebookでないところに時代を感じる。たまに飲ん
 では、地理学への違和感とか、GISってもっとこう使えるよね、的なことを話していた。GISが学ぶ
 機会が少ないって違和感もあって、僕の出身教室でGIS教えてくださいよ〜、なんてことも言っていた。
 試しに後輩とつなげてみたら、いつの間にか学習会と研究会が立ち上がることになる。「 GEOアンチ
 テーゼ 」なんて、いかにも怪しくて、そして、喧嘩を売ってる名前。冗談混じりの研究会だったけど、
 なべさんの粘り強い行動力とマメさに支えられて、徐々に徐々に広がりを見せていく。

 最初は集中講義メンバー(日本人)を中心に、それぞれの後輩が混じり、東京でやってみたり、名古屋で
 やってみたり、新潟でやってみたりするうちに、コミュニティが形成されていった。
 「 本当は入門編がやりたかったんだけど、もうしっかり使ってる人が来ちゃった感はあるんだよ 」
 「 確かに。でも、こんだけ異分野で集まれたんだから、ニーズはあったんじゃないっすか? 」
 研究会に参加してきたのは、それぞれの分野でGISを使っている人たちだった。医学、都市心理、考古、
 文化財など。みんなGISについて話したい気持ちはあるのに、その分野では使っている人がいない。話
 す仲間が欲しい。発表してみる場所が欲しい。カンファレンスに行った報告とかしてみたい。GPSロガ
 ー買ったって言いたい。そんな若手の研究者や社会人、学生の小さな集いになった。

 GISっていうツールで切り込んだから異種格闘技戦のようになった、と言えば話は早い。けどその裏側
 にはなべさんの並々ならぬ努力や、みんなのニーズがあった。そして、人文地理の中で「 単なるお絵か
 きソフトだから使わなくてもいーや 」って扱われてしまいつつあるGISへの執着というか、「 いや
 いやそんなもんじゃないよ。もっと使えるよ。分析できるよ。 」って証明したいという、裏付けもない
 信念が軸をつくっていたようにも思える。それはロマン的なものだし、だからこそ、共感を呼んだのかも
 しれない。

 「 だいたいこの辺、っていうのをGISでどう表現するか、ってのを考えながらみんなの発表を見てて。
   そういう曖昧なのって、GISでやらなくてもいいって言っちゃえばおしまいなんだけどさ。それが
   嫌っていう(笑)意地みたいなもんだよ 」

 地図が好きで、場所が好きで、空間が好きで。だからこそ敏感に感じてしまう、その土地の雰囲気を形づ
 くってきた、文化とか、歴史とか、思想とか、そういう曖昧なものをどうやってGISにのせて、分析し
 たり、表現したりするのか。物語や小説でない記述方法ってなんだろう?とか、史学や文学に対抗しうる
 地理学的な視点ってどこだろう?とか、初めに抱いていた問いは解決されるわけでもなく、むしろ深まる
 ばかりで、そもそもそういうものだろうという諦観に行き当たる。だけど考えるし、だからこそ考える。
 研究者ってのはそういうもんなんだろうな、と思う。



 なべさんはポーランドに行く。研究者としての立脚点をつくるために、仕掛けていく覚悟とか、何とかな
 るだろーっていう軽やかさとか、いろいろ混ざり合って飛び立つ。残された方は少し淋しく、少し羨まし
 い。いろんな人が転機を迎える季節なんだなぁ、と感じつつ、なべさんと別れて、鴨川をわたった。

 m(_ _)m