meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

【本】近代日本少年少女感情史考


【 『近代日本少年少女感情史考 けなげさの系譜』 北田耕也 】

 この本を手にとったのは1月に東京に行ったときで、僕は相も変わらず松丸本舗に寄っていたのだった。人の興味ってのは不思議なもんで、やっぱり少しずつ変わってくる。今日の自分はどこに行き着くだろうと、ぐるぐるぐるぐるまわって漂着したのが児童文学系統の場所だった。秋からケストナーを調べていたせいもあっただろう。そういえばケストナーやエンデ、サンテグジュペリは読んでるのに、日本のことは考えていなかった。特に知りたいのは子どものことである。

 ケストナーは「 子どもの頃を思い出してよ 」と言っていた。子供時代にモラルの源泉があると考えていたようだった。当たり前のモラルを思い出すこと。常識的に考えて、ナチスのやってることって、おかしいでしょ?それが反ナチスケストナーが伝えたかったことだった(と、僕は捉えている)。この姿勢って、現代にも通じるものがあって、例えば、常識的に考えて借金膨らましながら経営してる日本っておかしいわけだ。内田樹さんが言うように「 あまりに(非)常識的であるがゆえに、これまであまり言われないできたことだけれど、そろそろ誰かが、『それ、(非)常識なんですけど』ときっぱり言わねばまずいのではないか 」ってことだと思う。(『ひとりでは生きられないのも芸のうち』

 ケストナーが子どもだったのは1900年代初頭、ドイツでの話である。じゃあ、そのとき日本の子どもはどうだったんだろうか?その頃の子どもはどんな価値観の中にいて、何を感じていたんだろうか?そんなこんなの興味で本をレジに持っていったのだった。



 描かれているのは、明治維新から第二次世界大戦までの子どもの様子である。といっても、子ども自身の文献はそれ程残っていない。様々な記録や研究から、子どもの目線を想像する体になっている。後半はちょっと反戦ムードが強すぎて鼻につくところもあるけど、まぁ、それは仕方がないだろうな。著者も戦争を体験しているし、なにより、あの時期は悲劇が多い。

 それにしても、全編通して身につまされる境遇である。そして、それらを受け入れるけなげさである。いわゆる忠孝なんだろう。親への孝行、村への役立ち、それらを誇りと考える少年少女たちには、何というか、頭が下がる。

「 一年働いて、暮れに野麦峠を越える楽しみは、一年泣いて稼いだ金を持って親を喜ばせること、親がどんな顔をして喜ぶか、そんなことだけが楽しみで雪の峠を越えて、三五里、草鞋で歩いて帰ったのでございます 」

 野麦峠は非常に峻険な峠で、冬場は凍ってしまう。正月休みをもらって故郷に帰る少女たちは、ここで足を滑らせて谷底に転落することも少なくなかったそうな。僕はゆるゆる生活してるもんで、それがどんな境遇なのかは、正直想像できない。想いもちょっと理解を超える。なんせ親のためにその苦行を甘んじて受け入れ、さらに誇りだというんだから。素直というか、健気というか、愚直というか、蒙昧というか。もちろん、そんな子どもばかりでもないんだけども。

 そういう忠孝の対象が教育制度や社会体制によって次第にすり替えられていく。親やイエやムラのために身を賭しても、って僕からしたら狂気じみた忠誠心みたいなもんが国に向けられていく。ちょっと面白いデータで、明治三二年に岡山県尋常小学校での意識調査ってのがあった。「 模範とすべき人 」の第一位は楠正成。「 最も大切なものは? 」って問いには、天子様と答える子が、男子で25.0%、女子で30.7%。「 最も見苦しき物 」の上位に「 ヌラクラ遊びする人 」とあるらしい。

 はい、どーもスミマセン。僕が最も見苦しき物です(´・ω・`) にしても「 物 」呼ばわりかよw



 親への想い、はケストナーの物語でもたくさん出てくる。ケストナー自身がマザコンと言われてしまう程の母親想いだった。けど、やっぱり当時の日本の事情とは違うようだ。戦争に突っ走っていくときの日本人に「 子どもの頃を思い出して! 」と叫んだとしても、「 父母のためにお国に尽くす!故郷に錦の御旗を持って帰るのだ〜 」とか返ってきそうだ。逆に忠誠心を煽りかねないだろう。日本っぽい土臭いナショナリズムを感じずにはいられない。それが当たり前のモラルだったのだろうなぁ。健気さは見習うべきかもだけど、もうちょっとクールさとか、ドライさを持ってもいいんじゃない?と思う。

 子どもの心性にも、介入はある。ああ、そうか。だからケストナーは児童文学を書いて、子どもに介入しようとしたのかもだなぁ (゜-゜)


 m(_ _)m