meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

男の子は男の子性から逃れられないって話。

 男というのは非常に単純な生き物だなぁと、この1年ぐらいかけて感じてきた。というか、痛感してきた。男子2人寄れば、どちらが上かを競い、男女2人寄れば、男子は必ず自分の自慢話に花を咲かせる。まったくもってくだらない話なのではあるが、どうやら男というのはそういう運命なのらしい。この呪縛から逃れている男性はかなり少ないと思われる。
 そして、こんなことを書いているわたしも男の子である。くだらないとか書きつつ、自省してみるに、やはりそのコミュニケーションは男の子化しているようにみえる。東に旅行の話題で自慢している男がいれば、俺は自転車で北海道まわってたんだぞと言い散らし、西に一眼レフ買ったんだと誇らしげに語る男がいれば、俺はフルサイズ一眼レフだぞと無駄に切り込む。
 こういったある意味幼稚としか思えない傾向を「男の子性」と名付けてみる。そんでもって、認めたくはないけれども、わたしの男の子性もなかなかのもんであったのだな、と思わざるを得ないのである。

 こういった視点で考えると、男性と女性では関係性のつくり方がまるっきり違うことに気付く(まぁ、男性と女性を対比構造で捉えているからそう見えるのは当たり前である)。わたしから見れば、特に男性のやり方は醜い。もちろん、同属嫌悪というやつだ。醜いと言い切ってしまうことを許して欲しい。
 男性の行動を観察していると、その大半が自慢話で占められている。常にその集団においてボスであろうとするのが、男性ということであろうか。なかなか同等の立ち位置になろうとしない。こういうのはわりと自然に起こってしまうものなので、対等にしようとしているときこそ注意する必要がある。口だけ対等、あとは上意下達になり兼ねない。厄介さが増すだけなのだ。

 そして、わたしの経験上、この男の子性は友人関係に薄くあらわれて、組織関係に濃くあらわれる。男性はどっちが上かをハッキリさせたがるように思えてならない。能力はどっちが上か、経験はどっちが上か、立場はどっちが上か。そういう線引きをしっかりとしたがる。ちなみにそのジャッジメントを下すのは女性である。男性は自慢話で自分をアピールして女性からの信頼を得、女性は自慢話を聞いて「すごーい」と反応することで男性からの信頼を得る。お前らサルか!と言いたくなるような構図が、人間様にもどうやら底流しているようである。わたしもその血を受け継ぐひとりなのが、さらに嘆かわしい。
 では、わたしがそういう男性に出会ったときにどうするかというと、なるべくキャイーンと子犬が腹を見せるが如く、「わたしはあなたの下ですよ」というメッセージを出すようにしている。もちろん、わたしにも男の子性が宿っているから無理のあることだ。たまに隠していた牙がチラッと見えてしまって、グサッとやられてしまうこともある。牙が見えても「かわいいヤツよのう」と笑ってゆるしてもらえるようになるまでには、ある程度の時間がかかってしまうものなのだ。

 何度も言うが、くだらないことなのである。
 とてもとてもくだらないことなのだけど、けっこう縛られているのだ。

 最近はこの男の子性がめんどくさくて仕方ないんだけども、まぁ、それはそれで付き合っていくしかしゃーないもんなんだろう、ってぐらいのところまでは理解が進んだ。知らないで振り回すより、知って振り回した方が幾分ましであろう。
 いくら草食系男子と言われようとも、または、草食にもなれない草だ!といわれようとも、どうやらわたしは男子である。男子であるからには序列化社会になんとなくでも慣れなきゃしんどい。「教えられスキル」ってのをこの前GIGAZINE辺りで見かけたわけであるが、「かわいいヤツよのう」とまで言われるスキルが肉食を避けた男子の生きる道なのかもしれないなぁ、とか思っているわけである。

 最後に断っておく。わりと極端に書いている。
 世の中こんな男性ばっかりじゃない。たぶん。

 だから話半分に読んでおいていただければ、幸いである。

 ああ、くだらない。



m(_ _)m