朝遅くにのろのろと起きだし、午前は久しぶりに走ってえらく疲れ、シャワーを浴びて朝ごはんとも昼ごはんともつかないホットケーキをつくったはしからむしゃむしゃ食べる。午後に入って、少しだけ家事をする。あとはだいたい『封神演義』を読んでいた。あたたかく、穏やかな日である。
『封神演義』は久しぶりに手をつけた長編小説で、定番中の定番、安能務訳の三巻本を攻略している。しかし、相変わらずの遅読であって、なかなか読み終わらずに、少々辟易しはじめてもいる。どうも速読にはなれない。
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2月末に東京に行く直前だったと思う。Gigazineの記事をとてもおもしろく読んだ。本を読むときには、頭の中で「声」が聞こえる人と聞こえない人がいるらしい。考えたこともなかった。
Facebookでシェアしてみると、ポツポツとコメントが返ってきた。わたしは当たり前に声がするものと思っていたが、どうやら違うらしい。人によってこんなにも読書体験が違うものなのか、と改めて驚いた。目で追いかけるだけで読める人がいることが信じられなかった。
Facebookの投稿など、友達が書いた文章であればその人が話すように、小説や漫画のセリフはわたしが想定する声色に、なんとなく頭の中で変換されていく。それはそういうものだと思っていた。
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さらに観察してみると、どうやらわたしは考えるときにも、書くときにも、頭の中で声がするようだと気付いた。この文章も、独り言を話すように書いている。こういうのも、人によって違うのだろう。
どうもわたしの認識は「とりあえず音に変換してから飲み込む」なのかもしれない。写真を撮る人間なクセに、音とか声に頼っているらしい。
ふと、『封神演義』に目を移すと、難しげな漢字がたくさん並んでいる。もとが中国の物語だから、人名が妙にいかめしく、読みづらい。それを一行々々、目で追いかけて頭の中で音読する。当然、読めない漢字が出てくる。こうなると弱い。音に変換できないから、気になって仕方がないのである。かといって、いちいち調べているのもめんどうだ。だから「この文字はこう読むとしよう」と勝手に決めて読んでいく。そんなことをしていたのだ。
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どうりで速読できないわけだ。いや、あまり速読をしようとしたことはないんだけど、どうやってるのか不思議ではあった。なんてことはない。まだ自分が知らない世界があったのだということだったのだろう。
当然のことながら、目で認識するのと、音で認識するのでは、その体験は大きく変わる。どんな関わり方をするかで、世界は変わるのだ。やっぱり、パラレルワールドがそれぞれに展開されているのだろうなぁ、などと思う。みんなは、どんな風に読んでいるのだろうか?
m(_ _)m
- 作者: ショウペンハウエル,Arthur Schopenhauer,斎藤忍随
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