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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『封神演義』久しぶりに味わった、あっちの世界。

本のこと

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 久しぶりに『封神演義』を読んだ。といっても、安能務訳の三巻本だから初めて読んだとも言える。こういうややこしい話にもなるから、翻訳本はおもしろい。『封神演義』と言えば藤崎竜の漫画がたぶん一番有名であって、ボクの世代なら結構な人数が読んでいたのではないかと思う。ボクも『封神演義』の存在は漫画で知った。中学生のときだった。
 ただ、その頃からやたらめったら天邪鬼だったボクは、なぜだか漫画よりも先に小説を手にとった。それもなんだかしらんが、集英社の一巻本である。八木原一恵さんの翻訳で、封神演義としてはマイナーな方だった。なぜ安能務訳じゃなかったのかは、未だによくわからぬ。
 そして、その一巻を、半年間で7回ほど繰り返して読んだと覚えている。暇だったんだろうか。たぶん、暇だったんだろう。最後の方のページはくたびれて抜け落ちるぐらいだった。

●◯。。。...

 何が魅力的だったのか、はっきりと示すことはできない。7回も読むほどハマるもんでもないからだ。特に、今回読んだ安能務訳ならまだしも、一巻本ではページ数にも限りがあり演出も淡白である。言わずとしれた怪異譚。宝貝という特殊武器を使って、仙人や妖怪がドンパチやる。けども、そんなに派手な描写があるわけじゃないし、わりとワンパターンでもあって後半は冗長にもなる。現代っ子のエンターテイメントになるようなもんでもないと思う(それをSFエンターテイメントに仕立てた藤崎竜の手腕は、ホントに見事だ)。

 では、なぜ読んでいたのだろうか? それを改めて思い出したかった。
 簡単に言えば、あのときのボクにとって、封神演義は異文化体験だったのだろう。世界観が全く違う。「天数」という運命に全てが定められていて、そこに沿わなければならない世界である。天数だからという理由だけで、仲間を平気で死地に送り出したりする。典型的なのは十絶陣破り。必ず先に弱い奴が送り込まれて命を落としていく。そして、後に続く仙人は余裕で十絶陣を破る。最初っからお前行けよ!って話である。
 免戦牌ってのもおもしろかった。城に掲げると、相手は戦いを挑めなくなる。掲げている間は不戦って宣言のようなものだろう。そんなルールがあるわりには、夜襲とか忍び込んで暗殺とか、呪って殺すなんてことも平気でしてしまう。自分のいる世界との違いが、滑稽にも見えておもしろいのだ。

●◯。。。...

 あっちの世界にはあっちの事情がある。自分の世界なんて限られたもんで、そこからは計り知れないものがあっち側にはある。安能務訳ではそこにある程度の架け橋がかけられていた。仙人には仙人の思惑があり、妖怪には妖怪の反抗がある。まだわかりやすい。
 おそらく、一巻本はさらに説明が少なく、わかりにくかったのだろう。そんな世界を読んで、まるっと飲み込もうとしていたのかもしれない。あの頃はどんな時期だったろうと、中学生時代を思い出そうとしてみた。が、ブラックボックス過ぎてあまり思い出せなかった。。。

 

 

m(_ _)m

 

 

 

封神演義 (集英社文庫)

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封神演義(上) (講談社文庫)

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封神演義 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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